令和6年度米沢市戦没者追悼式 式辞
本日ここに、戦没者の御遺族並びに御来賓の皆様の御参列を賜り、令和六年度米沢市戦没者追悼式を挙行するにあたり、戦争で尊い命を失われた皆様の御霊に対し、米沢市民を代表し、謹んで追悼の言葉を申し上げます。
先の大戦が終わりを告げてから七十九年という歳月が過ぎました。祖国の平和と発展を願い、また家族の安泰を念じつつ、し烈を極めた戦場に倒れた方々、あるいは戦後に至るまで異郷の地に残され、飢えや病に倒れ、祖国に帰ることが叶わなかった方々の御無念を思うと、痛惜の念を禁じ得ません。そして、かけがえのない家族を失い、決して癒されることのない深い悲しみを胸に生きてこられた御遺族の皆様の御苦労は、いかばかりであったかと拝察いたします。
ここに改めて、戦没者の皆様の御冥福を心よりお祈り申し上げますとともに、戦後の混乱の中を生き抜かれ、郷里の発展のために御尽力賜りました御遺族の皆様に対し、深甚なる敬意と感謝を表します。
私の祖父・近藤道雄は昭和十四年、中国上海で海軍中佐として戦死いたしました。戦後、祖母は女手ひとつで父ら子ども三人を育てました。父・コンテツこと近藤鉄雄は昭和四十七年、遺族会の皆様の圧倒的な御支援を賜り、戦争遺児として最初の国会議員に初当選させていただきました。
米沢の代議士として当選九回、二度の国務大臣を務めさせていただいた父は、生前、私に、こう申しておりました。
「国のために戦死した父は立派だったと思うが、苦労して三人の子どもを育てた母はもっと偉かった」。「いいか洋介、戦争に良い戦争、正義の戦争なんかない。戦争はすべて悪だ。平和憲法を守れ」
広島県江田島の海軍兵学校で昭和二十年八月の終戦を迎え、広島の原爆投下を見た父。終戦後、保守政治家として、皆様と力を合わせ戦後の復興に取り組んだ父の遺言であります。
戦後、我が国は、平和を願う国民のたゆみない努力によって焦土の中から立ち上がり、国際協調の中で世界の平和と安定に貢献してまいりました。本市もその中にあって、歴史と文化を守りながら、置賜の産業・経済・教育の中核都市として、目覚ましい発展を遂げてまいりました。
今日、私たちが当たり前のように享受している平和と繁栄は、戦禍の中で亡くなられた戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれていることを決して忘れてはなりません。
戦争は、悲しみや苦しみを生み、将来の夢や希望、大切な命をも奪います。平和で安定した世界の実現に向け、現代を生きる私たち一人ひとりが戦争の悲惨さと平和の尊さを深く心に刻み、その想いを次の世代に繋いでいくことが我々の使命です。
ここに、悲惨な戦争を再び繰り返すことのないよう決意を新たにし、世界の恒久平和を強く願うとともに、懸命に築かれてきた平和の礎を守りながら、郷土米沢の限りない発展のため、市民の皆様とともに邁進してまいりますことをお誓いいたします。
結びに、戦没者の御霊の安らかならんことを念じ、御遺族の皆様の御健康と御多幸を心から御祈念申し上げまして、式辞といたします。
令和六年七月三十一日
米沢市長 近藤洋介
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更新日:2024年08月01日