上杉鷹山とSDGs 経済の取り組み
支出削減


財政難に苦しむ米沢藩において、鷹山はまず支出削減に努めました。鷹山は自らの生活費を大幅に減らし、一汁一菜など質素な暮らしぶりの手本を示しました。その上で家臣や領民にも倹約を促しました。また、藩内のあらゆる部署に対して徹底して無駄を減らすよう求め、支出の半減に努めました。
そして、倹約した資金と商人から借り入れた資金を元手に、新規の事業には大胆に投資したのです。
自給自足・国産物奨励



財政再建と農村復興のためには、領内で経済が循環できるよう、あらゆる産物の自給自足可能な体制を目指しました。
地域に眠る資源を徹底的に洗い出し、試行錯誤を重ねながら、成島焼の生活雑器をはじめ、紙、塩、お茶、刃物類、薬種などの領内生産に取り組みました。
成島焼のほか、今も米沢市の特産品として愛されている、笹野一刀彫、相良人形といった工芸品も、江戸時代における特産物としての生産奨励を端緒としたものといえます。
例えば『お鷹ぽっぽ』が有名な笹野一刀彫は、木彫の工芸品として鷹山が農閑期にあたる冬季間の農民の副業として奨励した産業振興の取り組みの一つとされています。

【お鷹ぽっぽ】
漆・桑・楮(こうぞ)百万本植え立て事業

代表的な産業振興策として、漆・桑・楮の百万本植え立て事業が挙げられます。
漆は蝋燭、桑は養蚕、楮は和紙の基盤となるものです。領内の至る所で漆・桑・楮の栽培の拡大が進められました。植え立ては、百姓はもとより、町人や寺社、武士に至るまで広く人々に参加を求めました。さらに一部の苗木を無償で提供し、藩士や技術者が巡回して指導にあたりました。
鷹山も自らの屋敷内で蚕を飼い、手本を示しました。
米織(米沢織)


現在も伝統産業として米沢の地に根付く米織。鷹山が藩主となった当初は、麻織物の原料となる青苧(あおそ)の栽培が奨励されており、越後などの他地域への出荷が中心でした。鷹山は、原料の出荷に留まらず、領内で織物を仕上げる加工技術の導入や職人の招へい、藩士家庭からの女性の参画、より高価な絹織物の生産、流通経路や品質保証の仕組みを整備しました。
こうした現代の米沢に通ずる『ものづくり』への取り組みにより、やがて米沢藩に大きな収益をもたらしました。

【米織の生産風景】
この記事に関するお問い合わせ先
企画調整部魅力推進課(市役所3階4番窓口)
(魅力発信担当、デジタル改革推進担当、地域資源向上担当)
〒992-8501 山形県米沢市金池五丁目2番25号
電話:0238-22-5111 ファックス:0238-22-0498
お問い合わせフォーム
更新日:2024年03月29日