川井の羽黒神社と葱祭り

「城下町ふらり歴史探訪」は、米沢に残る史跡などをわかりやく解説しています。
これまで「広報よねざわ誌面」で紹介してきた記事を再編集して掲載しています。
川井の羽黒神社と葱祭り 大字川井

明治40年に再建された現在の社殿

7月14日の前夜祭では、希望者に葱が有料で配られます。
庄内羽黒山から遷座の伝承
羽黒神社の祭神は、穀物の神様である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と大己貴命(おおなむちのみこと)・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・石凝姥命(いしこりどめのみこと)の4柱で、川井地区の鎮守として信仰されています。
創建の由来は、庄内の羽黒神社(現在の出羽神社)を分霊したと伝えています。また、庄内から最上川と羽黒川を遡ってきた神木から、三体の観音像が彫られ、元木(根木(ねぎ))から作った像は川井の羽黒神社に、中木からの像は笹野の観音堂(羽黒社も祀る)に、先木からの像は関根の羽黒神社に納めたられたという伝承も残っています。なお、赤芝の羽黒神社にも同様の伝承が残り、元が関根、中が笹野、先が赤芝としています。
伊達時代には川井館(たて)(城)に住んだ伊達政宗の家臣・鬼庭良直(おににわよしなお)(左月斎(さげつさい))も羽黒神社を篤(あつ)く信仰したと伝えています。
現在の社殿は明治40年に再建されたもので、内には享保16年(1731)に米沢城下の貝沼彫刻師が作った古い獅子頭が安置されています。
例大祭は7月15日で、14日夕方から前夜祭が行われ、その際、お祓いを受けた葱が売られることから「川井の葱祭り」とも呼ばれています。
葱を食べると無病息災
葱祭りの由来は、次のような話が伝わっています。
昔、和田村(高畠町)の二瓶某(にへいなにがし)が米沢城下に野菜商いの途中、羽黒川の下流から遡る流木を拾い上げ、家に持ち帰りました。その夜、「我こそは羽黒神社本尊の化身である」とのお告げがあり、すぐ羽黒神社に奉納しました。また、「葱を祭りに供すれば人々の苦しみが除かれ運が開ける」とのお告げもあり、葱を奉納するようになったといいます。
羽黒川を遡ってきた流木の根木から作られた観音像が納められた伝承と相通じる話です。
現在、前夜祭では神前に葱が供えられ、神事が行われます。その後、お祓いを受けた葱は参拝者に有料で分けられます。この葱を食べると、無病息災・身体堅固になり、夏負けしないと言われています。
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更新日:2024年10月04日