西明寺のトラノオモミ

更新日:2024年03月29日

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城下町ふらり歴史探訪

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西明寺のトラノオモミ 遠山町

山形県の天然記念物に指定

青空の下、森林の中に建つ遠山薬師堂とその脇に立つ巨木のトラノオモミの写真

西明寺境内に建つ遠山薬師堂とトラノオモミ(高さ約26メートル、幹周は2.85メートル)

奥にはコーポが並んでおり、その前に「会津夫人媛姫」と書かれた青い札が立っている万年堂づくりの墓の写真

媛姫の墓(林泉寺境内)

上杉綱勝お手植えの伝承

 トラノオモミは遠山薬師堂の脇に立つ巨木で、万治元年(1658)に米沢藩三代藩主の上杉綱勝が、夫人の病気平癒を願って、会津から苗を取り寄せて手植えしたものと伝えられています。今から358年前の話です。
 薬師堂はその名のとおり、医薬の仏として信仰される薬師如来が本尊です。棟札などの記録によると、現在の薬師堂は万治元年に綱勝が再建したもので、当時は医王寺が管理していました。医王寺は、羽山神社を管理する真言宗寺院で、成島八幡神社の別当・龍宝寺の末寺でした。羽山神社は隣の愛宕神社と共に古くから信仰された社で、米沢藩からは25石の知行を受けていました。
 綱勝は、こうした由緒深い医王寺の薬師堂を再建し、健康を願ったのでした。棟札には「衆病悉除身心安楽」と祈願の文字が記されています。
 綱勝の正室媛姫は会津藩主保科正之の娘です。明暦元年(1655)に綱勝に嫁入りしますが、万治元年に江戸で19歳という若さで亡くなりました。ただし、病死ではなく、保科家の家族間の争いの中、誤って毒殺されたとも伝わっています。媛姫の遺骸は米沢に運ばれ南原の黄檀原で葬儀が行われ、林泉寺の上杉家墓所に一段と大きな墓(万年堂)が建てられています。
なお、医王寺は明治の神仏分離などの影響から廃寺となり、その跡には境内を学校敷地に提供した西明寺(真言宗)が移り、現在に至ります。

実はハリモミだった

 トラノオモミは松科のトウヒの別称で、葉の密生する形態が虎の尾に似ていることに由来し、日本の中部以南に自生しています。
 西明寺のトラノオモミは、東北では珍しい巨木で、約350年前の植樹由緒も伝わる樹木として、昭和31年に県の天然記念物と指定されました。その時点では、トラノオモミの北限としても注目されました。
 ところが最近の調査では、果実や種子の形、葉の断面から、ハリモミであることが判明しました。ただし、文化財の名称としては西明寺のトラノオモミのまま、由緒ある巨木として、手厚く保護されています。

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