西明寺のトラノオモミ

「城下町ふらり歴史探訪」は、米沢に残る史跡などをわかりやく解説しています。
これまで「広報よねざわ誌面」で紹介してきた記事を再編集して掲載しています。
西明寺のトラノオモミ 遠山町
山形県の天然記念物に指定
西明寺境内に建つ遠山薬師堂とトラノオモミ(高さ約26メートル、幹周は2.85メートル)
媛姫の墓(林泉寺境内)
上杉綱勝お手植えの伝承
トラノオモミは遠山薬師堂の脇に立つ巨木で、万治元年(1658)に米沢藩三代藩主の上杉綱勝が、夫人の病気平癒を願って、会津から苗を取り寄せて手植えしたものと伝えられています。今から358年前の話です。
薬師堂はその名のとおり、医薬の仏として信仰される薬師如来が本尊です。棟札などの記録によると、現在の薬師堂は万治元年に綱勝が再建したもので、当時は医王寺が管理していました。医王寺は、羽山神社を管理する真言宗寺院で、成島八幡神社の別当・龍宝寺の末寺でした。羽山神社は隣の愛宕神社と共に古くから信仰された社で、米沢藩からは25石の知行を受けていました。
綱勝は、こうした由緒深い医王寺の薬師堂を再建し、健康を願ったのでした。棟札には「衆病悉除身心安楽」と祈願の文字が記されています。
綱勝の正室媛姫は会津藩主保科正之の娘です。明暦元年(1655)に綱勝に嫁入りしますが、万治元年に江戸で19歳という若さで亡くなりました。ただし、病死ではなく、保科家の家族間の争いの中、誤って毒殺されたとも伝わっています。媛姫の遺骸は米沢に運ばれ南原の黄檀原で葬儀が行われ、林泉寺の上杉家墓所に一段と大きな墓(万年堂)が建てられています。
なお、医王寺は明治の神仏分離などの影響から廃寺となり、その跡には境内を学校敷地に提供した西明寺(真言宗)が移り、現在に至ります。
実はハリモミだった
トラノオモミは松科のトウヒの別称で、葉の密生する形態が虎の尾に似ていることに由来し、日本の中部以南に自生しています。
西明寺のトラノオモミは、東北では珍しい巨木で、約350年前の植樹由緒も伝わる樹木として、昭和31年に県の天然記念物と指定されました。その時点では、トラノオモミの北限としても注目されました。
ところが最近の調査では、果実や種子の形、葉の断面から、ハリモミであることが判明しました。ただし、文化財の名称としては西明寺のトラノオモミのまま、由緒ある巨木として、手厚く保護されています。
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更新日:2024年10月04日