火の目観音と火防観音

「城下町ふらり歴史探訪」は、米沢に残る史跡などをわかりやく解説しています。
これまで「広報よねざわ誌面」で紹介してきた記事を再編集して掲載しています。
火の目観音と火防観音 本町一丁目・木場町
火災除け・火伏に利益があることで知られる観音堂
火の目観音
火防観音
桧造りの本尊 火の目観音
本町一丁目にある火の目観音は、元は新義真言宗の弥勒院(みろくいん)が管理していました。本尊の十一面観音像は越後国頚城郡(くびきぐん)の新光寺(新潟県糸魚川市)から米沢に移されたものと伝えられています。桧材の一本造りから「桧の目観音」と称されていました。江戸時代の大火で弥勒院が類焼した際、境内の観音堂は奇跡的に無事であったことから、火の目(ひのめ)観音と称され、火伏(ひぶせ)・災難除けに御利益がある観音様と信仰されています。置賜三十三観音巡りでは15番札所となっています。なお、現在は川西町の大光院が兼務しています。
松原寺の火防観音
木場町の松原寺(しょうげんじ)にも火防観音と称される観音堂があります。元は同寺開基の高梨家で祀った観音像で、火伏に霊験があると評判で、天明2年(1782)に近隣住民の浄財を集め、近隣町内の守護安全を祈願し、松原寺境内に観音堂が建立された由緒を伝えます。米沢三十三観音の31番札所。例祭日は7月17日で、火伏の観音のためか、前夜祭は雨降りが多いと言われています。
4・5月に集中する大火
「火事と喧嘩は江戸の華」と称されるように、人家が並ぶ城下町は、時折大火に見舞われました。城下町米沢も同様に、何度も大火に遭っています。その大火の起きた日は、左表のように、大正6年の大火は5月22日、同8年の大火は5月19日でした。江戸時代の大火も太陽暦に換算すると4月と5月に集中します。昭和33年に塩井で25軒焼失した火災も4月29日です。強い北西風によって延焼したことも一致します。
4・5月の米沢は乾燥する時期で、年によって強い北西風が吹く日があり、そうした状況下で火災が起きると、次々に延焼し大火となったのです。
現在、家の構造や消防体制が格段に進歩してきましたが、5月は特に火災に注意が必要な季節です。火防に御利益のある観音堂に参詣し、防火意識を高めてはいかがでしょうか。
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更新日:2024年10月04日