熊野神社

更新日:2024年03月29日

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城下町ふらり歴史探訪

 「城下町ふらり歴史探訪」は、米沢に残る史跡などをわかりやく解説しています。
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熊野神社 御廟一丁目

米沢藩主上杉家墓所(御廟所)の西隣に鎮座

奥には民家や木々が広がっていて、その前に赤い屋根をした茶色の建物の熊野神社を正面からうつした写真

熊野神社

神社の中に大きな櫓があり、そのまわりを参加者たちが盆踊りをしている様子の写真

毎年、大きな櫓を中心に盛大に盆踊りが行われます。

浅井権太夫の創建と長者伝説

 熊野神社の歴史は古く、今から約525年前の延徳年間(1489~1492)の創建と伝えられています。その頃、この地には浅井権太夫(あさいごんだゆう)という大富豪が屋敷を構えていました。権太夫は紀州那智(きしゅうなち)の熊野権現(くまのごんげん)を深く信仰し、紀州参拝の際に分霊(ぶんれい)を受け、当初は遠山の赤坂に仮宮を建てました。その後、自分の屋敷内に立派な社殿を造営し、近郷の鎮守として篤(あつ)く信仰されました。
 なお、江戸時代に御廟所が設けられる以前は、この地は吹屋敷村の一部でした。吹屋敷の地名は、伊達時代に武器庫があったことに由来する説と、長者浅井の屋敷(富貴屋敷(ふきやしき))があったことに由来するとも言われています。
 また、権太夫が生前に、黄金・朱・漆の財宝を壺に入れ、密かに埋め、その場所を示す歌「行は五里、帰れば七里、朝日さす、夕日に輝く木の下にあり」を残したというお宝伝説も残っています。
 本殿内に残る棟札によると、宝暦元年(1751)に長床(ながとこ)を造営し、安政2年(1855)に再建されています。現在の社殿でしょうか。また、拝殿内には地区の有力者であった皆川文四郎が宝暦9年に奉納した、熊野権現参詣を描いた大きな絵馬が掲げてあります。

祭礼と盆踊り

 熊野神社の例大祭は7月7日で、6日の前夜祭には神輿渡御(みこしとぎょ)と地区小学生による巫女舞(みこまい)が奉納されます。
 8月には15日・16日・20日の3日間、盛大に盆踊りが開催され、地域の夏の風物詩として親しまれています。社殿の前に大きな櫓(やぐら)(写真左)が細木で組み立てられ、奉賛者(ほうさんしゃ)の名前を記した「ぼんぼり」が灯(とも)されます。その周囲を、太鼓や盆踊り歌にあわせて踊ります。参加賞の他、踊りの上手な人には賞品が配られるのも魅力のひとつで、地区の人はもちろん遠方からの参加も見られるようです。

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