常慶院の文福茶釜

更新日:2024年03月29日

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城下町ふらり歴史探訪

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常慶院の文福茶釜 南原横堀町

竹俣当綱の墓でも知られる曹洞宗の寺院

木々を背に中央に草履型の墓石とその手前に長方形の線香入れがあり、左側に長方形の棒型の石が立っている竹俣当綱の墓の外観写真

竹俣当綱の墓

蓋のように置かれた石と鉄製の円盤型の釜「文福茶釜」の写真

文福茶釜

 今月は文福茶釜伝説が残る米沢市南原横堀町の常慶院(じょうけいいん)を訪ねました。
 米沢藩の重臣市川家の菩提寺で、市川家と共に信州高井郡(長野県下水内郡栄村)から米沢に移ってきた曹洞宗の寺院です。山号は金華山。上杉鷹山の藩政改革を補佐した竹俣当綱の墓や、一刀流の達人、吉田一夢(いちむ)の墓があることでも有名です。

きつねのくれた文福茶釜

 さて、この常慶院にはきつねのくれた文福茶釜と伝えられる珍しい茶釜があります。鉄製の古い釜で蓋はなく、代わりに木の蓋の上に石(幻術が解け鉄蓋から石にもどったものと伝えられる)が置かれています。
 この茶釜のいわれは次のとおりです。
 第9世の本悦和尚の時、南原の糠山に住む弥八郎狐が来て話すには、「このたび、位をもらいに京都に登ることになったので、化け方を書いた巻物を預けたい。どんな者が来ても渡さないでほしい」と頼みました。和尚はこころよく巻物を預かりましたが、その後、悪狐が巻物をねらい、旅人や壇徒総代だんとそうだいの市川家の家来等に化けて押し寄せてきました。和尚は狐との約束を守り、巻物を引き出しにしまって渡しませんでした。
 数日して、弥八郎狐が京から帰ってきて、巻物を守ってくれたことを大変喜んで、土産にと古い茶釜を一つ和尚に渡しました。さらに、お礼にと「今晩、釈迦如来の説法をお見せしたい。ただし、幻術なので信仰して拝んではいけない」と申し出ました。
 その夜、和尚が糠山に行くと、山から虹の橋がかかり、その上を弥八郎狐が茶釜を持って渡り、山の上には釈迦如来や大勢の仏様の姿が現われました。和尚はその姿の有難さに思わず合掌し、お経を唱えると、突然雷が鳴りひびき、仏様や虹の橋が消えあたりは真っ暗になりました。しばらくすると夜が明け、和尚は野原の中にいることに気が付き、側には蓋のない茶釜と石があったそうです。

茶釜のご利益

 この蓋のない文福茶釜は、ご利益のある釜と伝えられています。この釜に米を少し入れておくと次の朝までには米がびっしりと増え、村々の貧民を救ったとか、茶釜で炊いたご飯・お粥をたべると、疫病で苦しんでいた病人が全快したということです。
 また、群馬県館林市の茂林寺にある狸の分福茶釜とは兄弟釜とも言われています。

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