大浦遺跡と漆紙文書

更新日:2024年03月29日

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城下町ふらり歴史探訪

 「城下町ふらり歴史探訪」は、米沢に残る史跡などをわかりやく解説しています。
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大浦遺跡と漆紙文書 中田町

置賜の郡役所跡

発掘調査をしている現場を上から撮ったモノクロ写真

発掘当時の写真(白黒)

奈良・平安期の建物群から、中世の城舘、近世の墓跡までの複合遺跡

 今月は米沢市中田町字大浦にある大浦遺跡を紹介します。
 最上川(松川)と堀立川、羽黒川が合流する自然堤防上(微高地)に位置する遺跡です。
 昭和59年に駐車場造成工事の途中で発見され、以後、開発に伴う緊急調査など10回にわたる発掘調査が行われました。その結果、東西約400メートル、南北100~150メートルの範囲に、奈良・平安期の建物跡、中世の城舘跡、近世の墓跡など、様々な時代の遺構が数多く見つかりました。

置賜の郡衙(ぐんが=役所)跡か

 この中で最も注目されたのが、奈良時代から平安時代にかけての建物跡です。数多くの柱(掘立柱)を立てた穴が見つかり、穴から昔の建物が想像されました。
 建物は何度か建て替えられ、柱穴は重なってますが、8世紀の中ごろには、三間×四間の建物三棟が並び、そのまわりに倉庫や小屋があったことが判りました。また、建物の周囲には、40メートル四方に丸太の柵がめぐらしてありました。
 この建物群は、置賜郡の郡衙(役所)の跡では?と考えられ、平成元年の発掘調査で漆紙文書が発見されたことにより、郡衙跡の可能性が高まりました。

発見された漆紙文書(うるしがみもんじょ)

 漆紙文書とは漆容器の蓋に利用された紙が、漆が付いたために、土中でも腐食しないで残ったもので、大変珍しいものです。この漆紙を赤外線カメラで調べたところ、日付と干支、節気(立春・大寒など)、吉凶(その日にすべきこと避けること)などが書かれた暦でした。結婚・種蒔・爪を切る日・体を洗う日など具体的に記され、その日付と内容から、延暦23年(804)の具注暦(ぐちゅうれき)と判りました。
 当時の暦は、中央の役所(陰陽寮=おんみょうりょう)で作成され、諸国の役人が出向いて書き写し、地方の役所に備えれたものです。大浦の具注暦は、書き写す際に一行(一日分)抜かして写した、珍しい、杜撰な暦であることも判りました。
 この暦が不用となり、漆職人(郡衙の建物や調度品などに漆を塗る)に払い下げられ、漆容器の蓋紙に再利用され、約1200年後の現在に残ったのです。県内では初めての貴重な発見で、平成4年に漆紙文書は市指定文化財となりました。

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