上小菅観音堂

更新日:2024年03月29日

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城下町ふらり歴史探訪

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上小菅観音堂 広幡町上小菅

置賜三十三観音の一番札所

左手前に綺麗な青と薄紫の紫陽花が咲いていて右には看板とその右後ろにはえている大きなケヤキと中央の参道の石段を上がった先にある観音堂の写真

観音堂と大ケヤキ

両脇に大きい長方形で文字が彫られた石碑が立っており、中央に観音堂へ続く参堂がある写真

観音堂への参堂

 今月は、米沢市広幡町上小菅の広幡小学校北隣にある上小菅観音堂(かみこすげかんのんどう)を訪ねてみました。
 文保元年(1318)、長井庄(置賜)の地頭、長井秀宗が建立したという、古い由緒を伝えています。江戸時代の別当寺は千手院(真言宗)、今は曹洞宗金松寺が管理しています。この観音堂は、置賜三十三観音霊場の一番札所で、ここから33観音の巡礼が始まります。
 本尊は千手観音で、四万六千日=観音・地蔵の縁日、この日にお参りすると、四万六千日の間お参りしたのと同じ功徳があるといわれています。また、この日に併せて開帳されます。
 観音堂には、白衣姿の巡礼者が貼ってゆく御詠歌を書いた紙が多く見られます。上小菅観音の御詠歌は次のとおりです。
 ふだらくや嵐を聞けば法(のり)の声 岩間の清水ひびく大沢

 補陀落(ふだらく)とは観世音菩薩の住む場所、出現した場所で、一番札所に相応しい歌となっています。大沢は観音堂の建つ小字名、今は清水は無く、お堂の裏山に井戸跡が残っています。ちなみに、西国三十三観音の一番札所である和歌山県那地勝浦町の青岸渡寺(せいがんとじ)の御詠歌は、「補陀落や岸うつ浪は三熊野の那智のお山にひびく滝津瀬」です。

月見の名所で、鷹山家臣も宴を開く

 この上小菅観音堂は、江戸時代は月見の名所としても知られ、上杉鷹山を補佐し藩政改革を推進した竹俣当綱、莅戸善政、木村丈八等の菁莪社(せいがしゃ)グループも、たびだび月見の宴を開いては、改革について話を交わしました。
 江戸末期に書かれた「鶴城叢談(かくじょうそうだん)」という本には、月見の宴の中で、木村が備籾蔵(そなえもみぐら)の設置を提言、竹俣等も賛成し、鷹山によって各村に備籾蔵が建てられる契機となったことが記されています。この備籾蔵は、その後に起きた飢饉の際、多くの人の命を助けることになりました。

市指定文化財(天然記念物)のケヤキ

 観音堂前のケヤキの巨木は、根周り6.7メートル、幹周り3.5メートルで、樹齢は300年以上と推定され、置賜地方では最も年代の経たケヤキの一つです。根は大きく地表に出で、盤状根(ばんじょうこん)という珍しい形をした部分もあります。こうした植物学的な価値が認められ、平成6年に市の文化財(天然記念物)に指定されました。

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