春日山林泉寺

「城下町ふらり歴史探訪」は、米沢に残る史跡などをわかりやく解説しています。
これまで「広報よねざわ誌面」で紹介してきた記事を再編集して掲載しています。
春日山林泉寺 林泉寺
長尾家、上杉家の菩提寺

林泉寺本堂

綱勝正室媛姫の一段と大きな万年堂
今月は、上杉家の菩提寺で、藩主の奥方と一族の墓所、直江兼続夫妻や重臣たちの墓などで知られる春日山林泉寺を紹介します。
長尾家の菩提寺で上杉謙信も参禅
林泉寺は、今から約500年前の明応5年(1496)、越後国高田(現・上越市)に建立された曹洞宗の寺です。長尾景虎(上杉謙信)の祖父長尾能景が、亡父重景の菩提を弔うため建立したもので、寺名は重景の法名林泉寺院殿からとったものです。
景虎が7歳の折、当寺に預けられ天室光育(七世)の指導を受け仏道に励みました。さらに、景虎は長じて八世益翁宗謙の下に参禅し、禅の「達磨不識(だるまふしき)」の境地を悟り、不識庵謙信(ふしきあんけんしん)を号するようになりました。
また、景虎は永禄四年(1561・川中島合戦のあつた年)に関東管領上杉家を相続、林泉寺は上杉家の菩提寺にもなりました。山号の春日山は、上杉家(藤原氏)の氏神である春日明神を勧請したことによります。
上杉家に伴い米沢に移る
その後、謙信を継いだ上杉景勝は、慶長3年(1598)に越後から会津120万石に移封となり、同6年には米沢30万石に削封、菩提寺の林泉寺もこれに伴って米沢に移りました。なお、高田にも林泉寺が残りました。
米沢藩時代の林泉寺は、藩主菩提寺として厚く信仰され、領内の曹洞宗寺院を統括する触頭(ふれがしら)に命じられ、元和5年(1619)に現在地に壮大な伽藍が建てられました。この伽藍は享保17年(1731)の火災で焼失、その後再建されたのが現在の本堂になります。
媛姫(はるひめ)・お豊の方など藩主奥方の墓
境内の一角には藩主の奥方・子女・支侯家(しこうけ=分家)の廟所があり、景勝正室(武田信玄の娘菊姫)、綱勝正室(保科正之の娘媛姫)、治憲(鷹山)側室お豊の方の墓などが並んでいます(歴代藩主は御廟所)。
中でも綱勝正室の媛姫の墓は一段と大きな万年堂(中に一石五輪塔が納められている)で、わずか19歳で亡くなった媛姫を想う綱勝の気持と、媛姫の父保科正之(徳川家光の異母弟)の大きな力が感じられます。この後、綱勝の急死で上杉家は断絶の危機を迎えたが、正之の尽力によって救われました。
お豊の方の墓(万年堂)は、早世した次男寛之助の墓と並んで建っています。
なお、上杉家一族の廟所は、極楽寺(浄土宗)と法泉寺(臨済宗)にもあります。
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更新日:2024年10月04日