上杉記念館

更新日:2024年03月29日

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城下町ふらり歴史探訪

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上杉記念館 米沢市松が岬

旧上杉伯爵邸

銅板葺きで一部二階建ての柱や長押には木曽檜を用い、玄関と門は総欅造りの上杉記念館を斜め上から引きで撮った写真

 今月は、松岬公園の南側に建つ、上杉記念館(旧上杉伯爵邸)を訪ねてみました。
 上杉伯爵邸は、明治29年、上杉茂憲伯爵(上杉氏十四代・最後の米沢藩主)の本宅として造営されました。敷地は約5,000坪(16,530平方メートル)、建坪は530坪と壮大な大邸宅で、建設には3万7,739円という巨費をかけたものでした(翌年新築された米沢市役所は、建坪125坪、建築費4,864円余)。
 この新邸は鶴鳴館(かくめいかん)と呼ばれました。建設の総指揮および設計は、茂憲側近の池田成章が担当し、当時、東京帝国大学の講師であった伊東忠太の意見を参考にしました。
 ところが、大正8年5月19日の大火で類焼し、さしもの大邸宅も灰燼に帰しました。茂憲が4月18日に東京の本郷邸で76歳で逝去された、約1ヵ月後のことでした。
 伯爵を継いだ上杉憲章は、おもに東京で生活したことから、当初は米沢の本邸再建は見合わされました。しかし、大正10年になって再建が計画され、翌11年7月に着工、市民の手伝いで胴突(てんつき)が行われました。同年末には事務所・応接室・上段・書斎などが完成し、翌12年には世子部屋(お子様部屋)・台所などを建て、門・土蔵などすべての建物が完成したのは大正13年です。翌14年5月に落成の祝宴が開かれました。
 これが現在の上杉記念館です。建坪は285坪(940平方メートル)と焼失前の約半分となりましたが、銅板葺(どうばんふき)で一部二階建、柱や長押には木曽檜を用い、玄関・門は総欅造りと、落ち着いた中に気品がただよう純日本風の邸宅となりました。庭園は東京の浜離宮庭園を模して造園したものです。
 設計者は中条精一郎です。中条は米沢藩士中条政恒(安積開拓に功績)の長男で、東京帝国大学工科大学で建築を学び、また上杉憲章に随行して英国に留学、ケンブリッジ大学で建築学を修めました。その後、曽禰達蔵(そねたつぞう)と建設事務所を設立し、慶応義塾大学図書館や東京海上ビルなど数多くの設計を担当しました。旧山形県庁も中条の作品です。
 伯爵邸は、第2次大戦後、米沢に進駐した米軍将校の宿舎に使用されましたが、昭和25年に接収が解除、米沢市が上杉家より譲り受け、翌26年から昭和50年まで、中央公民館として市民に利用されました。
 昭和54年からは、市内観光の中核施設「上杉記念館」として、観光客や市民に開放されています。

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