御成山スキー場

更新日:2024年03月29日

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城下町ふらり歴史探訪

 「城下町ふらり歴史探訪」は、米沢に残る史跡などをわかりやく解説しています。
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御成山(おなりやま)スキー場 舘山

国体や各種スキー大会を開催

木々が両脇にはえているなか、中心は整備されており、頂上が見えない程の高さから下まで緩急がついたスキーのジャンプ台の写真

 今月は米沢市舘山の御成山スキー場・同ジャンプ台の歴史を紹介します。
 創設当初は、地名(化物沢)から化物沢(ばけものざわ)スキー場、あるいは鷹打羽スキー場と呼ばれていましたが、昭和11年1月18、19の両日に開催された全日本学生連盟スキー大会に秩父宮殿下(昭和天皇の弟)が来臨(らいりん=お成り)され、これを記念して御成山スキー場と改名されたものです。
 米沢のスキーの歴史は、明治44年にオーストリア人クラッツアなどが五色温泉を訪れ、スキーを楽しんだのが始まりといわれます。その後、教師などを中心にスキーが広まり、大正13年には米沢スキークラブが結成され、小野川スキー場も創設されました。また、斜平山中腹の大森山にもゲレンデが造られ、米沢スキー場とも呼ばれました。
 昭和3年1月には第1回県スキー大会が小野川スキー場を本部に開催され、ジャンプ競技は化物沢特設シャンツェで行われました。
 翌3年には化物沢スキー場設置議案が米沢市会で可決され、同6年に40メートル級のジャンプ台が設置されるなど公設スキー場として整備され、昭和11年の第9回全日本学生連盟スキー大会の会場となったのでした。
 同大会に向け、ジャンプ台は早大出身の大塚淳次氏の指導で70メートル級に改修され、北海道の大倉シャンツェなどとともに国内有数のジャンプ台となりました。
 大会は未曾有の大雪の中、40キロの耐久(化物沢~矢子山~口田沢~赤芝~愛宕山山頂~古志田)、18キロの長距離、純飛躍、複合、継走(リレー)の各競技が行われ、第1部は明治大学が優勝し、第二部は地元の利をいかした米沢高等工業(現在の山大工学部)が優勝しました。なお、この大雪による雪崩のため奥羽線が不通となり朝香宮の来臨が中止され、18日には興譲館中学校の講堂が雪の重みで倒壊するなどの被害も生じました。
 この冬の積雪量は2.18メートルにいたる記録的なもので、大雪の絵ハガキが発売されたほどでした。
 御成山スキー場とジャンプ台は、この後も国体やインターハイなど各種のスキー大会が開催されました。また、市民・児童の身近なスキー場として親しまれ、昭和30年にはリフトも備えられましたが、わずか1年で小野川スキー場に移されました。
 現在は、ジャンプ台だけの活用となっています。

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