草木塔

更新日:2024年03月29日

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城下町ふらり歴史探訪

 「城下町ふらり歴史探訪」は、米沢に残る史跡などをわかりやく解説しています。
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草木塔

自然に感謝する心をあらわす

「草木塔」という文字が縦書きに彫られている米粒の形に似た石碑の写真

 今月は、置賜地方に数多くみられ、米沢の田沢地区が発祥の地と考えられる珍しい石碑草木塔(そうもくとう)を紹介します。
 「草木塔」あるいは「草木供養塔」と刻まれた石碑は置賜地方に約60基ほど確認されていますが、置賜以外では山形県内に8基、福島県に1基、最近のものが東京に4基みられるだけの、全国でも珍しい石碑です。
 草木にもそれぞれ霊魂がやどり、その草木から得られる恩恵に感謝し、伐り倒した草木の魂を供養する心が、草木塔を建てさせたものと思われます。
 その草木塔の中で最も古いものが、米沢市大字入田沢字塩地平(しおじだいら)に建っている石碑で、安永9年(1780)7月19日、上杉鷹山の時代に建てられたものです。高さ90センチ、幅52センチ、厚さ24センチの自然石に「草木供養塔」と刻まれています。
 寛政9年(1797)の大字入田沢字白夫平(しらぶだいら)の草木塔には、釈迦如来を表す梵字(古代インド文字)の下に「草木供養塔」と刻まれ、その左右に「一仏成道観見法界」「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」とお経の一節が刻まれています。仏教の「草木はもちろん土にいたるまで、すべてが仏になれる」といった教えの影響がみられ、湯殿山碑や飯豊山碑と同時に建てられた草木塔もあり、山岳信仰や修験道の影響も感じられます。
 また、安永元年(1772)に米沢藩の江戸屋敷が焼失し、その再建の材木として塩地平の山林が伐り出され、安永9年4月の粡町・立町など120戸を焼いた大火でも材木が伐り倒されたことが、草木塔を建てるきっかけになったとも考えられています。このような草木塔は、江戸時代以降も主に林業の盛んな地域に建てられ、田沢・簗沢・綱木・梓山など「木流し」が行われた所に多くあるのも特色です。梓山笊籬の草木塔は高さ214センチ、幅115センチと最も大きな石碑です。
 草木塔は最近では自然保護・地球環境といった面からいっそう注目され、米沢市三沢公民館前の草木塔は昭和61年、自然愛護の精神を子孫へ伝えるため建てられたものです。さらに、山形や東京、あるいは比叡山延暦寺など、置賜以外でも草木塔が建てられるようになりました。
 米沢は草木塔のふるさとであり、長年にわたり草木へ感謝してきた心は、世界に誇れることです。また、今後も自然に感謝する気持を大切にしてゆきたいものです。

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