東源寺の五百羅漢

更新日:2024年03月29日

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城下町ふらり歴史探訪(城下町ふらり歴史探訪のページへリンク)

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東源寺の五百羅漢 中央五丁目

戌亥の守り本尊八幡神を祀る

中央の飾り棚の上に置かれた金色に装飾された蓮の花と8段のひな壇に飾られている五百羅漢像の写真
8段のひな壇に飾られている五百羅漢像をメインで撮影した写真
手前に微笑む顔の首まで写っている羅漢像とその左後ろに両手を組み口をま結びしている表情の羅漢像2体の写真

 今月は、東源寺境内の羅漢堂に安置されている五百羅漢像を紹介します。
 萬用山東源寺は、上杉氏の家臣となった尾崎氏とともに信州(長野県飯山市)から米沢に移ってきた寺院で、宗派は曹洞宗です。縁あって直江兼続の位牌も祀っています。
 羅漢とは阿羅漢(あらかん=悟りを得て、人々から尊敬をうける人)の略で、五百羅漢とは釈迦の滅後に経典をまとめた仏弟子500人を指すともいわれています。中国で五百羅漢の信仰が盛んとなり、日本では禅宗の寺院で信仰が広まり、五百羅漢像などが作られました。大分県耶馬渓(やばけい)の羅漢寺や、川越市の喜多院などの五百羅漢像は有名です。

 東源寺の五百羅漢像は、江戸時代の末期、天保の末ころから文久3年(1863)まで、20年余りをかけ米沢で作られたものです。同寺27世の宗岳和尚は、天明・天保の凶作で苦しむ人々の生活を見て、人々の心を救い豊作を祈願するため五百羅漢像の製作を決意しました。資金集めに、置賜一円をまわって志を募り、仏師遠藤亀次に製作を依頼。宗岳和尚の存命中には完成できず、28世の祖岳和尚の時ようやく五百体の羅漢像が出来上りました。
 遠藤亀次は米沢の仏師と言われています。寺に住み込み、一人で作りあげ、その出来栄えは素晴らしいものです。
 五百羅漢像の内、十六羅漢像がやや大きく、高さ約52センチで、羅漢堂の正面に釈迦・文殊・普賢像と一緒に並んでいます。残りの羅漢像は高さ約30センチで、羅漢堂の四方にぎっしりと配置されています。
 羅漢像は寄木造りの木像で、眼球を中から入れ、鉱物性の顔料で鮮やかな色に塗られています。それぞれ、悟りを開く縁となった筆・経文などを手に持ち、金色の法輪が頭の後ろに付いています。
 羅漢像の右前には、羅漢の名前と寄付に応じた人の名前が記された木札があり、武士、僧侶、町人、村々の農家など、様々な人の志で出来たことが知られます。一例を示すと、「第百二番 太忍尊者 我彦忠右衛門」とあり、中には江州(滋賀県)や越後などのの地名も見えます。
 五百体の羅漢像は一人ひとり表情が異なり、その中に必ず自分の身近な人の面影を見つけることができる、といわれています。

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