旧米沢高等工業学校本館

「城下町ふらり歴史探訪」は、米沢に残る史跡などをわかりやく解説しています。
これまで「広報よねざわ誌面」で紹介してきた記事を再編集して掲載しています。
旧米沢高等工業学校本館 米沢市城南四丁目3-16
国指定重文、ネオバロック調の優美な建物


今月は、旧米沢高等工業学校本館(現山形大学工学部)を訪ねてみました。装いを新たに7月オープンした米沢駅舎は、この建物をイメージして設計されたものです。
米沢高等工業学校は、明治43年10月1日、東京・大阪・京都・名古屋・熊本・仙台に続いて、全国第7番目の高等工業学校として開校しました。県内で初めての高等教育の場でした。
同校の誘致にあたっては、米沢市が校舎の敷地約2万坪、山形県が建築費として金10万円(内、1万円を米沢市が分担)の寄付を申し出て認めらたものです。
敷地は上花沢小国町裏や紺屋町裏など10ヵ所の候補地から、環境・便利さなどを考えて馬口労町三ヵ町に決め、そこに住んでいた約30軒を転居して敷地を提供しました。寄付金1万円については、上杉家からの3千円や各町内ごとの募金によって、ようやく調達されたものです。
こうした努力の結果、開設が決定し、本館は明治43年7月に完成しました。木造二階建ての洋風建築で、当時としてはとてもモダンな建物でした。昭和48年に国の重要文化財に指定されました。
さて本館の設計者ですが、ながく英国人技師の設計と言われてきましたが、それは誤りで、実は中島泉次郎が設計したものです。
中島は文部省建築課の設計技師で、米沢の他にも、名古屋・仙台の高等工業学校本館や東北帝国大学の理科大学、医科大学の本館の設計を担当しています。その多くは、マンサード屋根(上部の傾斜が緩く、下部が急傾斜した二段になった屋根。腰折れ屋根ともいう)を正面玄関の上部に用い、華麗に装飾したネオ・バロック的デザインの建物でした。
米沢高等工業の場合は、玄関の両脇に塔のような階段室を建て、変化のある立面構成とした点が特色で、二階会議室の天井やシャンデリアなどにも華麗な装飾が見られます。
なお、講堂などすべての校舎が完成したのは大正2年で、9月に盛大な開校式が行われました。その後、昭和19年には米沢工業専門学校と改称、同24年には新制の山形大学工学部に昇格となりました。
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更新日:2024年10月04日