愛宕神社

「城下町ふらり歴史探訪」は、米沢に残る史跡などをわかりやく解説しています。
これまで「広報よねざわ誌面」で紹介してきた記事を再編集して掲載しています。
愛宕神社 米沢市遠山町
鷹山公雨乞いの遺跡

愛宕神社

鷹山公雨乞之碑

山頂から見た米沢市内
今月は、8月1日早朝の民衆登山、夕方からの火まつり、神輿渡(みこしわたし)などでにぎわう愛宕神社を訪ねてみました。
愛宕神社は米沢市遠山の愛宕山(海抜559メートル)頂上に鎮座し、火の神である軻遇突智命(かぐつちのみこと=迦倶槌神)を祀っています。 総本社は京都市右京区嵯峨愛宕町の愛宕神社で、火伏せの神として広く信仰されています。とくに7月31日夜からの「千日詣」は有名で、この日に参詣すれば千日の参詣と同じご利益があると言われ、多くの信者が集まります。
米沢の愛宕神社は、大同2年(807)の創建と古い由緒があります。江戸時代は上杉氏の崇敬も厚く、社領十二石五斗が与えられ、別当寺は真言宗の地蔵院が勤めていました。
神仏習合によって勝軍地蔵が祀られ、戦の勝利を願う信仰も強いものがありました。
また、上杉鷹山が自ら雨乞い祈願に参詣し、慈雨をもたらしたというエピソードも知られています。明和8年(1771)は春先から雨が少なく、前年に続いて農作物への被害が心配されました。藩では領内の寺社に雨乞いの祈祷を命じましたが、雨は降りませんでした。
こうしたなか鷹山は、自ら謙信を祀る御堂で雨乞いを始め、6月5日早朝には竹俣・色部の両奉行を連れて愛宕山に登り、降雨祈願を行いました。すると、午前11時頃から雨が降り始め一夜降り続きました。この恵みの雨により枯れ死寸前の農作物が生き返り、農民たちが大変喜んだと伝えられています。
この年は結局前年と同じく、米沢領内で5万石程の干魃の被害を出しましたが、この鷹山の農民を思う行動と愛宕神社のご神徳は、以後長く讃えられてきました。神社脇の「鷹山公雨乞之碑」は昭和48年に建てられたものです。
なお、民衆登山は昭和3年7月15日に米沢山岳会によって開催されたのが始まりで、市民の体力増進を目的としたものです。戦争によって一時中断しましたが、昭和28年8月1日、上長井村の米沢市合併を機に復活し、現在に続いています。また、この日山に登り参詣すると夏まけしない、或いは麓で売っている餅を食べると夏まけしないという言い伝えもあります。
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更新日:2024年10月04日