笹野観音堂

更新日:2024年03月29日

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城下町ふらり歴史探訪

 「城下町ふらり歴史探訪」は、米沢に残る史跡などをわかりやく解説しています。
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笹野観音堂 米沢市笹野5686-5

あじさいの名所、伊達・上杉氏も信仰

参道の両脇には青や紫の紫陽花が綺麗に咲き、奥中央には光に照らされた本堂がある情景写真
コシアブラの丸木を、サルキリと呼ばれる刃物で削り彩色し精巧に作られた鷹や鶏の彫り物「笹野一刀彫り」の写真
手前に綺麗な青と紫色の紫陽花が咲き、奥にはピントが淡くぼけている延命地蔵菩薩の写真

 今月は、紫陽花の名所として知られる、笹野観音堂を訪ねてみました。
 坂上田村磨呂の開基、大同元年(806)に法相宗の名僧・徳一上人によって中興されたという、たいへん古い由緒を伝えています。別当寺は長命山幸徳院(真言宗)。
 伊達氏・上杉氏と歴代領主の信仰も厚く、伊達政宗が野始め(伊達氏の正月行事、3日に狩を行った)の途中に訪れたり、上杉氏も藩主病気の時や天候不順の折には祈願を命じ、お堂の再建・修復を手伝いました。
 天保4年に火災に遭い、同14年(1843)に再建されたのが現在のお堂で、大きな茅葺の屋根、精巧な彫刻など、置賜地方では希にみる壮大な建物です。
 なかでも竜や鳳凰の彫物はすばらしく、庄内の彫物師後藤藤吉・政吉の作と伝えられています。
 再建当時は天保の飢饉と称される凶作の続いた時期でした。藩では倹約令を出し、伊勢・柳津・湯殿山などへの参詣や神社・仏閣への寄付の停止令を出す状況で、観音堂の再建はすぐには許可されませんでした。同11年にようやく寄付集めが許され、米沢城下の商人を中心に領内一円から寄付を集め、その総計は約1,150両にのぼりました。

 再建は、棟梁の見積では、大工4,500人・人足2,800人・屋根葺300人や石工・彫物師数名で、のべ7,100人余の労働力を要した大工事でした。
 また、観音堂の境内には貴重な文化財も数多く残されています。
 参道北側の石の地蔵尊は、米沢城下の大商人渡部伊右衛門が450両余の大金をかけて建てた延命地蔵尊で、蔵王山の麓から運ばれた約30個の石で組み立てられています。
 釈迦堂には平安末期頃に作られた木造釈迦如来坐像が安置され、相良人形による千体地蔵尊も納められています。子供を亡くした親が、子の冥福を祈って納めたものです。
 このほか、松尾芭蕉と地元俳人の句碑があり、お堂には置賜の俳人104名による俳句の懸額が納められ、近年、米沢商業高校の生徒が復元奉納した算額も掲げてあります。文化の薫り高い史跡です。

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