チャールズ・ヘンリー・ダラスってどんな人?

更新日:2024年03月29日

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チャールズ・ヘンリー・ダラス(Charles.Henry.Dallas)

 米沢牛の恩人チャールズ・ヘンリー・ダラス氏(Charles.Henry.Dallas)は、1841年イギリスのロンドンに生まれました、20歳の頃に貿易商人として中国に渡り活躍し、1864年ごろに来日しました。その後、明治3年(1870年)、大学南校に語学講師として迎えられ、同年12月まで勤務しました。
 明治4年(1871年)1月に米沢市内に設立された洋学舎(現米沢興譲館高校にあった)にまねかれ、同年10月から語学の教師として教鞭をとりました。明治8年に米沢を去るまでの間、The sounds Employed in the English Language「英音論」やThe Yonezawa Dialect「米沢方言」、Notes Collected in the Okitama Ken with an Itinerary of the Road Leading to it「置賜収録」の三つの論文を書き、一方ではサッカーや器械体操などの近代スポーツの紹介もしました。
 米沢を去ったH・ダラス氏は、明治18年まで日本に滞在し、その後、中国に渡り貿易商人として余生を送りました。

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