国指定史跡上杉治憲敬師郊迎跡
史跡上杉治憲敬師郊迎跡は、米沢市関根の羽黒神社と普門院、および参道からなる米沢藩を復興させた名君上杉治憲(鷹山)とその師、細井平洲ゆかりの史跡です。
寛政8年(1796年)9月6日、平洲の3度目の米沢下向の際、前藩主であった治憲は自ら羽黒堂(羽黒神社)で平洲を郊迎し、参道をともに歩き、普門院で長旅の労をねぎらいました。
この歴史的な出来事は、当時から広く知られ、さらに明治以降、国定修身教科書にも取り上げられるなど全国的に知られるようになり、この出来事ゆかりの地が、昭和10年(1935年)6月7日に文部省の史蹟(現在は史跡)となりました。
平成20年度から、史跡上杉治憲敬師郊迎跡保存修理事業として羽黒神社と普門院の保存修理工事を実施しています。

敬師の像(右が上杉鷹山、左が細井平洲。平成26年9月に東海市より寄贈)
羽黒神社について
羽黒神社は、大同元年(806年)に羽黒大権現として大窪沢の山頂に創建され、暦仁年間(1238~1239年)に神社を現在の関根の地に移したとされています。その後、元亀元年(1570年)に、伊達・葦名の合戦(横檀原の合戦)で本殿を焼失しましたが、慶長3年(1598年)に直江兼続が再建したと伝えられています。
現在の本殿は、天明8年(1788年)に再建されたとされますが、棟札等の記録は確認できず詳細は不明です。本殿は、方三間・面三間を有した重層な木造茅屋根総欅唐様建築で、歴史的にも貴重な建造物です。
平成20年度から23年度まで、羽黒神社本殿の保存修理工事を実施しました。

羽黒神社本殿(保存修理後)
普門院について
普門院は、仁寿3年(853年)の創立と伝えられ、現在の建物は寛政3年(1791年)に庫裏、寛政8年(1796年)に本堂が再建されたものです。
普門院は、本堂・庫裏・赤門から構成され、本堂と庫裏は廊下で接続した曲屋風の木造茅屋根建築です。本堂内に設けられた休息室、治憲が平洲との接見の際に使用したと伝えられる米沢藩上杉家の家紋入りの漆器類等の諸道具が残されています。
平成24年度から普門院庫裏の保存修理工事を実施し、平成30年度に庫裏の保存修理工事は終了しました。

修理を終えて完成した普門院庫裏
令和元年度から普門院本堂の保存修理工事を実施しており、保存修理工事の状況は現場見学会等で公開します。
日程が決まりましたら「広報よねざわ」やホームページ等でお知らせします。
また、完成した庫裏で保存修理工事のパネル展示を実施しています。
見学を希望される方は、宗教法人普門院(電話:0238-35-2750)にお問い合わせください。

普門院本堂の保存修理工事の様子
この記事に関するお問い合わせ先
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更新日:2024年03月29日