田中 俊雄

更新日:2024年03月29日

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田中 俊雄(1914-1953)

米沢織物の機屋に生まれ、民藝運動に参画し、沖縄染織研究に生涯を捧げた研究者

 田中俊雄[たなかとしお]は、父駒蔵[こまぞう]の長男として大正3年に御小者町[おこものまち](現城西)で生まれました。駒蔵は、米沢織物の袴地で有名な田中織物工場の経営者で商工会議所会頭を務めた名士でした。俊雄は、米沢興譲館中学に入学しますが、病気のため卒業はできませんでした。その後、大熊信行[おおくまのぶゆき]主宰の歌誌『まるめら』の同人となり、歌や評論を発表するようになります。
 昭和12年、大熊の紹介で、日本民藝館を設立した柳宗悦[やなぎむねよし]に師事し、民藝運動に参画。日本民藝協会の雑誌『工藝』に研究を次々と発表します。昭和14年には日本民藝協会の沖縄調査に参加し、民芸品の調査・資料収集を行い、沖縄の染織研究を本格化しました。同年、『琉球の織物』を出版、沖縄の民芸を題材にした文化映画製作にも取り組みます。昭和18年、日本大学芸術科の工作美術科講師に招聘され、「日本工作文化史」の講座を担当しました。
 戦後、東京都板橋区の自宅に「生活工芸研究所」を設立し、昭和27年に妻玲子との共著『沖縄織物裂地の研究』を出版しました。この著書は、柳や柳田国男[やなぎたくにお]らに絶賛され、出版を機に開催した資料展示会には大きな注目が集まります。アメリカのテキスタイル・ミュージアム(織物美術館)での展示会が企画されますが、準備中の昭和28年1月にガス中毒により38歳の若さで急逝しました。俊雄が遺した膨大な研究資料はのちに沖縄県立博物館に寄贈され、現在も沖縄文化の研究に寄与しています。

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