宇佐美 勝夫

更新日:2024年03月29日

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宇佐美 勝夫(1869-1942)

宇佐美洵[まこと]・毅[たけし]兄弟の父で、同郷の伊東忠太らと親交の厚かった内務官僚

 宇佐美勝夫[うさみかつお]は、旧米沢藩士宇佐美勝作の次男として生まれました。兄駿太郎は第9代米沢市長です。幼い頃より俊秀であった勝夫は、明治14年の明治天皇東北巡幸の際、選ばれて『日本略史』の御前朗読を行っています。その後、米沢中学校・一高を経て、東京帝国大学法科大学政治科に入学しました。学生時代には、同郷の伊東忠太・宮島幹之助・結城豊太郎らと東京本郷で切磋琢磨し、この時には「やつて見度[みた]い事は治国平天下[ちこくへいてんか]の事業」と将来の目標を記したといいます。明治29年、内務省に入省し、翌年には池田成章[なりあき]の三女よしと結婚。5人の男子に恵まれ、のちに次男洵は三菱銀行頭取・日本銀行総裁、三男毅は宮内庁長官を務め、日本の政財界をリードする存在として活躍しました。

東京府知事・貴族院議員等の要職を歴任し、近代日本の発展に尽力した内務官僚

 宇佐美勝夫は、京都府参事官などを経て、明治41年に富山県知事に任命されます。以後、朝鮮総督府内務部長官・東京府知事・賞勲[しょうくん]局総裁・資源局長官・満洲国国務顧問などの政府要職を歴任し、貴族院議員にも勅選[ちょくせん]されています。この間、明治43年の日韓併合や、大正12年の関東大震災など、歴史的場面の第一線で活躍しました。また、維新史料編纂会委員に任じられ、明治維新に関する史料収集や編纂にも携わりました。
郷土米沢のことも常に気にかけ、米沢大火後の復興や米沢織物の品質向上にも尽力し、米沢有為会[ゆういかい]第5代会長を務めています。没後には勝夫の功績を顕彰する有志により『宇佐美勝夫氏之追憶録』が編まれました。次男洵は父勝夫について「生まじめで仕事に没頭する人であった」と評しています。

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