宇佐美 毅

更新日:2024年03月29日

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宇佐美 毅(1903–1991)

「戦後皇室のプロデューサー」と称され、昭和天皇に厚く信頼された宮内庁長官

 宇佐美毅[うさみたけし]は、明治36年に旧米沢藩士の家系である宇佐美勝夫の三男として生まれました。父勝夫は内務省官僚として東京府知事を務めた人物で、日銀総裁を務めた宇佐美洵[まこと]は実兄にあたります。
 毅は東京帝国大学卒業後、父と同じく内務省に入省します。内務大臣秘書官や鳥取県警察部長などを歴任し、地方局総務課長の時に終戦を迎えました。戦後は東京都教育局長として学制改革による六三制の実施にあたり、初代東京都教育委員会教育長を務めました。昭和28年には吉田茂首相に推されて宮内庁長官に就任。昭和天皇の信頼が厚く、昭和53年まで歴代最長の約25年間に亘って天皇の最側近であり続けました。「戦後皇室のプロデューサー」と称され、皇太子妃美智子様(現上皇后)の決定や新宮殿造営、昭和天皇の外国訪問などを手がけ、とりわけ象徴天皇制の定着に尽力しました。長官退任後も宮内庁参与として亡くなる前年まで皇室を支え続けました。また、米沢有為会の相談役として米沢の後進育成にも力を注ぎました。

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