高橋 里美

更新日:2024年03月29日

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高橋 里美(1886-1964)

エピソード1 ドイツで哲学を研究し、東北大学総長に

 高橋里美は明治19年、東置賜郡上郷村上新田に生まれ、地元の上郷尋常高等小学校、米沢中学校(現在の米沢興譲館高校)で学びました。母方の従弟に文芸評論家として著名な本間久雄がおり、中学時代は切磋琢磨しながら勉学に励んだといいます。その後、第一高等学校、東京帝国大学文科大学哲学科、同大学院へと進み、研究者の道を歩みました。
 大学院を出てからは第六高等学校と新潟高等学校の教授を歴任し、大正10年には東北帝国大学の助教授となります。また、大正14年から2年間はドイツへ留学してリッケルト、フッサールに師事し、新カント派や現象学派といわれる哲学の日本への導入に努め、大正から昭和初期の哲学の発展に大きく寄与しました。
 昭和24年、里美は東北大学の第9代総長(学長)となり、昭和32年まで務めました。戦後の新制大学として最初の総長となった里美は、「研究第一主義」を掲げて大学発展の基盤を固め、困難な時代の大学運営に尽力しました。この精神は現在も引き継がれ、東北大学の学風となっています。

エピソード2 里美の哲学は「愛」

 里美の哲学は、純粋理論としての哲学で「最も哲学的な哲学」と言われています。里美は、「包越の論理」(あらゆる存在を内に包み越える)に基づく独自の哲学体系を組み立てます。全てを統一する愛 である「一在愛」という概念を作り上げ、これが日本人の精神文化の根源であり、また全ての愛の根本原理であると説きました。
 里美は昭和39年に亡くなり、上新田の西光寺に葬られました。墓誌には「愛」とただ一文字が刻まれており里美の哲学を表しています。

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