中村 榮一
中村 榮一(1878-1942)~トルコで活躍した日本人 貿易商として、日本と世界をつなぐ~
エピソード1 トルコの貿易会社で支配人となる
中村榮一は明治11年、福田町に生まれました。榮一の若い頃の経歴はよくわかっていませんが、明治38年にオスマン帝国(現トルコ)の首都コンスタンティノープル(イスタンブール)に妻子を伴って渡航し、中村商店の2代目支配人となります。中村商店は、日本とオスマン帝国との間に貿易事業を展開するために設立された会社で、絹布を主力商品として日本製品を取り扱っていました。また、榮一は中村商店での業務の傍ら、イスタンブル大学でトルコ語とトルコ法制を学んでいます。
中村商店にはトルコへの日本人訪問客が度々訪れ、その中には文部省から派遣されていた伊東忠太もいました。同郷であった榮一と忠太は親しくなったようで、2人が交流していた絵葉書も残されています。榮一は明治42年に勲四等オスマニエ章を、明治44年には忠太と同じ勲三等メジディ章を受章するなど活躍しました。
エピソード2 貿易商として活躍するが感染症で妻子を亡くす
一方で、当時流行していたチフスに罹り、自らは一命を取り留めたものの、チフスにより妻と長男を相次いで亡くすという悲劇もありました。その後、第一次世界大戦の影響により大正3年に中村商店は閉店、翌年に榮一も帰国します。
榮一は、忠太との縁で米沢有為会会員となり、榮一が忠太に宛てた書簡が明治41年5月の『米沢有為会雑誌』に収録され、トルコ情勢が伝えられました。また、昭和7年、米沢市郷土館の要請で、米沢出身の著名人の一人として色紙・写真・履歴書を提供しています。榮一の貿易商としての活躍は、郷土の米沢でも知られていたのでした。
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米沢市教育委員会教育管理部社会教育文化課(置賜総合文化センター1階)
(社会教育担当、文化振興担当、文化財担当)
〒992-0012 山形県米沢市金池三丁目1番14号 置賜総合文化センター1階
電話:0238-22-5111 ファックス:0238-21-6020
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更新日:2024年03月29日