米沢牛150周年特設ページ ~日本三大和牛~

更新日:2025年04月11日

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米沢牛の美味しさの秘密

和牛最長の肥育期間・33ヶ月以上の肥育

米沢牛の定義は生後月齢33ヶ月以上の黒毛和種未経産雌牛です。

高級ブランド牛と呼ばれる肉牛の肥育期間が30ヶ月~32ヶ月のため、米沢牛は1~3か月も長く肥育することになります。

長く肥育するほど不飽和脂肪酸が増加し、人肌で溶けるほどにまで脂の融点が低くなり滑らかな口溶けになります。このため、米沢牛の脂は人の体温で溶けると言われます。また、獣臭さも消え、澄んだ牛肉の味と香り、うま味を楽しめます。

長期間の肥育は、牛が病気になるリスクや餌代の増加など難しい条件が重なります。日本三大和牛にも数えられる米沢牛は、国産黒毛和牛をリードする最高級牛肉として、美味しさへのあくなき探求と、難しい肥育に挑戦し続けます。

盆地の寒暖差が生み出す繊細なサシ(霜降り)

米沢牛の霜降りの画像米沢牛が育てられる置賜盆地は、1日の寒暖差、夏と冬の寒暖差が大きい盆地気候です。この寒暖が短い期間に繰り返されることで細かいサシが入り、肉もきめ細かく・柔らかくなります。

また、冬の寒さが脂の糖度を高め、良質な脂になります。この良質な脂が、米沢牛特有のうまみ・香り、とろけるような食感をつくりあげます。

 

最上川源流のミネラル豊富な雪解け水

清流の画像米沢は、一級河川「最上川」源流である西吾妻山のふもとに広がるまち。米沢は山形県で最もきれいな水が流れるまちとも言えます。西吾妻山に降り積もった雪は、雪解け水となって地下に浸透し、地中のミネラル分を溶かし込んでいきます。牛たちも、そのミネラル豊富な美味しい水を飲んで育ちます。

徹底した品質管理

米沢牛は麦、ふすま、トウモロコシ、大豆などを原料に独自に配合された飼料で育てられます。

また、飼育農家で1頭1頭が管理されているので、安全な牛肉を確かな生産ルートでお届けできます。

品質安定化と、消費者が安全・安心に購入できるように、徹底してトレーサビリティを確保しています。

牛の個体識別情報検索サービスを使えば、精肉等に表示されている10ケタ番号により牛肉の生産履歴、生産者情報、コメント等を見ることができます。

ここをクリックすると、米沢牛と認められる条件を見ることができます
  • 飼育者は、置賜三市五町(脚注1)に居住し米沢牛銘柄推進協議会が認定した者で、登録された牛舎での飼育期間が最も長いものとする。
  • 肉牛の種類は、黒毛和種の未経産雌牛とする
  • 米沢牛枝肉市場若しくは東京食肉中央卸売市場に上場されたもの又は米沢市食肉センターでと畜され、公益社団法人日本食肉格付協会の格付けを受けた枝肉とする。但し、米沢牛銘柄推進協議会長が認めた共進会、共励会又は研究会に地区を代表して出品したものも同等の扱いとする。 また、輸出用は米沢牛銘柄推進協議会が認めたと畜場とする。
  • 生後月齢33ヶ月以上のもので公益社団法人日本食肉格付協会が定める3等級以上の外観並びに肉質及び脂質が優れ ている枝肉とする。
(脚注1)置賜管内の三市五町:米沢市・長井市・南陽市・高畠町・川西町・小国町・白鷹町・飯豊町 【令和5年12月7日より改定】

2025年 米沢牛は150周年を迎えます

米沢牛を広めた英国人教師

1875年、米沢の興譲館洋学舎(当時)で英学教師として働いていた英国人のチャールズ・ヘンリー・ダラス氏が横浜に戻ることになりました。その際、米沢での生活中に食べた牛肉が美味しかったことから、横浜に牛を連れて帰り振る舞ったことが、米沢牛が広く認知されるきっかけになりました。

チャールズ・ヘンリー・ダラス氏の経歴

ここをクリックすると、詳しい経歴を見ることができます

~1870年

貿易商として、現在の横浜市中区にあった「外国人居留地」に居住。その後、大学南校(現:東京大学)の語学教師になる。

1870年11月23日の夜半、神田鍋町(現:須田町)で3人の攘夷壮士から襲撃を受け重症を負う。

療養の必要があり、12月までの給料と養生料を支給され、解雇される(ダラス・リング事件)。

1871年~

10月、米沢の興譲館洋学舎の英学教師として赴任。

英語の他、数学・地理・歴史・経済学などを教授。また、クリケット・高跳び・器械体操といった近代スポーツも紹介しました。

住民からは、礼儀正しい英国紳士として敬愛され、約3年半にわたり教鞭を執りました。

1875年~

3月、興譲館洋学舎との契約が満了し、横浜の居留地に戻ることになります。

米沢での生活中に食べた牛肉が美味しかったことから、横浜に牛を連れて帰り振る舞ったことが、米沢牛が広く認知されるきっかけになりました。

米沢牛はすき焼きがおすすめ(”置賜風”すき焼き)

すき焼きの画像

牛鍋として食べられた米沢牛

1872年、明治天皇が肉食奨励ために牛肉を試食したことで、日本に牛肉食が広まり始めました。牛鍋(すき焼きと似た料理)が日本全国で広まる中、米沢牛の名が広まるチャンスが訪れます。

現在も高級シルクとして知られる「米沢織」ですが、明治時代は京都や大阪から商人が米沢織を買いに来ていました。この商人たちをもてなす際に出した米沢牛の牛鍋が、舌の肥えた商人たちを魅了し、関西にも米沢牛の名が広まりました。

"置賜風"すき焼き

すき焼きには関東風、関西風があります。

肉を割下(タレ)で煮ると関東風、焼いてから割下にくぐらせて味付けをすると関西風です。関東風すき焼きは、牛鍋がベースになっていると言われます。

米沢牛を美味しく食べる方法の一つが、"置賜風”すき焼き(米沢市を含む山形県南部を置賜(おきたま)地方と呼びます)。割下の上に野菜を並べ、牛肉を野菜の上に乗せて蒸し焼きにします。程よく火が通ったら割下にくぐらせて味付けし食べます。

米沢牛の脂は溶けやすいから蒸し焼きがピッタリ

米沢牛は約36℃(人の体温)で脂が溶け始めると言われています。他品種の牛肉よりも早く脂が溶けるため、ステーキなどの鉄板焼きや、通常の鍋モノのように煮てしまうと脂が溶けすぎてしまいます。”置賜風”すき焼きのように蒸し焼きでじっくり火入れをすることで、美味しい脂が溶けすぎるのを防ぐと同時に、米沢牛の上質な脂が野菜に染み込みます。

米沢牛を食べる・手に入れる

米沢牛を食べる

米沢牛を食べられるお店(外部リンク:米沢牛のれん会ホームページ)

米沢に観光に来たら、ぜひ米沢牛をご賞味ください。米沢牛の特性を知り尽くした地元の料理人が、最高の一皿を提供します!

※のれん会未加盟店でも米沢牛取扱店があります。

米沢牛を手に入れる・送る

米沢牛認定指定店(外部リンク:米沢牛銘柄推進協議会ホームページ)

米沢市ふるさと納税

米沢牛は、大切な人への贈答品にもおススメです!