『米沢偉人伝』では明治~大正期に活躍した本市にゆかりのある人物を紹介しています。「広報よねざわ」平成29年5月1日号から令和3年3月1日号まで掲載しました。
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赤井 運次郎(1877-1969)~我妻榮の恩師で、 米沢市功績章第1号~


エピソード1 我妻榮ら有為な人材を育てた小学校教員

 赤井運次郎は明治10年、袋町(現在の松が岬2丁目)に生まれました。運次郎は小学校の教員となり、興譲小学校には17年に渡って在職、その後、東部小学校長、西部小学校長などを歴任しました。この間、市の教育行政にも携わり、学区整備委員、市学務委員なども務めています。
 小学校教員時代の教え子には日本を代表する民法学者の我妻榮や、経済学者で思想家としても著名だった大熊信行などがいました。とりわけ我妻榮は運次郎を慕っており、運次郎に対して生涯にわたって謝恩を尽くしました。

エピソード2 市立米沢図書館長に就任、米沢市功績章第1号

 昭和8年、運次郎は登坂又蔵市長の懇請で本市の教育課長となり、教育行政に本格的に関わります。市政50周年を記念した米沢市史編纂事業、全国産業振興共進会の開催、市公会堂(市民文化会館の前身)の建設など大きな事業に携わりました。この時期は後に「あの時のように忙しい目に遭ったことはない」と回想しているように多忙を極めたようです。さらに 昭和13年には運営が困難になっていた財団法人米沢図書館が市立米沢図書館として市に移管され、運次郎は館長代理司書に就任、後に館長となります。戦中戦後の厳しい時代の図書館運営を担い昭和24年まで館長職を務めました。この間、登坂市長の私設秘書 や宇佐美市長の私設顧問なども務め、市長の補佐など市政の中心で活躍しています。
 昭和26年、市は功労者の表彰規程を定め、米沢市功績章第1号として運次郎を推挙しました。なお、教え子たちとの交流は、昭和44年、94歳でその天寿を全うするまで続いたといい、本市の教育に多大な足跡を残しました。

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