藩校興譲館の蔵書を引き継ぎ開館
米沢図書館が最初に建てられた場所は、文殊堂の西側でした。興譲館財団より蔵書・土蔵と資金三千円が寄贈され、上杉伯爵家や市民有志からの募金で建設・整備、財団法人米沢図書館(木造2階建)として開館しました。
当時は男女別の利用で、女性は専用の部屋や出入口を使いました。閲覧は有料で1枚1銭、7枚綴で5銭の閲覧券がありました。公共図書館が無料になるのは戦後のことです。興譲館から引き継いだ古典籍を基本蔵書とし、新たに一般書を充実させていきました。
明治44年に記念碑を建立
開館2年目を迎え、その意義を後世に伝えるため創立記念碑が建立されました。上部の篆刻(てんこく)は上杉茂憲(もちのり)の筆で「智府」と刻まれています。また本文には図書館設立までの経緯が記され、目的を「夙夜(しゃくや)研究研徳して智を磨き、以(もっ)て国運の発展に資(し)す」と高らかに謳(うた)っています。図書館は智を磨き国に役立つ人材を育てる場所と期待されていました。その後図書館は移転しましたが、石碑は図書館が最初に建った場所と、その意義を静かに示しています。
その後米沢図書館の変遷
昭和13年に財団から米沢市に移管、名称を「市立米沢図書館」と改称しました。そして昭和29年には松が岬公園南側に新築移転しました。
正面はギリシャ建築風の石柱が並び、その上に桜井祐一が制作した女神像のレリーフが組み込まれ、市民を見守っていました(現在、レリーフは第一中学校校舎に利用されています)。そのモダンな外観とは裏腹に、古材等を利用した建物は傷みが激しくなり、昭和50年に置賜総合文化センターに統合移転しました。移転から40年を経て、閲覧室や駐車場の手狭さが課題となっていましたが、平成28年7月『ナセBA』が開館し、開架数15万冊の本に囲まれた市立米沢図書館が新しく生まれ変わりました。