城下町ふらり歴史探訪

 「城下町ふらり歴史探訪」は、米沢に残る史跡などをわかりやく解説しています。
 これまで「広報よねざわ誌面」で紹介してきた記事を再編集して掲載しています。


直江兼続夫妻の墓 林泉寺一丁目

上杉景勝の重臣で、文武兼備の名将

直江兼続夫妻の墓
墓は同じ大きさで、向かって左が直江兼続、
右が妻お船の方の墓です

正面の六角形の三個の穴は、直江家の家紋である
三盛亀甲花菱(みつもりきっこうはなびし)をかたどったもの

平成21年放送のNHK大河ドラマ「天地人」によって全国に紹介され、多くの観光客が訪れました。
兼続の墓と戒名の謎
 兼続は元和5年(1619)に江戸の鱗屋敷(うろこやしき)で死去、享年60でした。直江家の菩提寺は徳町にあった曹洞宗の徳昌寺で、徳昌寺に墓が建てられ、後に林泉寺に移されたと伝えられています。
 また、墓に刻まれた戒名は「達三全智居士(たつさんぜんちこじ)」です。なぜ院殿号でなかったのか謎が残ります。兼続の希望だったのでしょうか。「英貔院殿(えいひいんでん)」の院殿号が贈られたのは、享保3年(1718)の百回忌法要の時でした。
 ところが近年確認された古文書には、兼続の法名「達三」の意味は、詩・文・武の三者に優れたことに由来し、葬儀は林泉寺で執行されたと記されています。林泉寺で葬儀が行われ、戒名が贈られたとすれば、最初から林泉寺に墓が建てられた可能性も考慮され、一層謎が深まります。
妻お船の方の葬礼
 お船(せん)の方は、誕生の時に母を亡くした二代藩主定勝の母親の役目と、一族の少なかった上杉家が幕府に届けた証人(人質)の役目を担い、鱗屋敷に住んでいました。兼続の死後は剃髪して「貞心尼(ていしんに)」と称し、また「直江後室(こうしつ)」とも呼ばれ、女性でありながら知行3000石を拝領しています。
 お船の方は寛永14年(1637)に鱗屋敷で死去、享年81でした。藩主定勝の命により林泉寺で葬儀が行われ、戒名は「宝林院殿月桂貞心大姉(ほうりんいんでんげっけいていしんだいし)」と贈られました。また、遺骨は高野山に送られ、上杉家墓所の隣に墓石が建てられました。まさに上杉家一族として篤(あつ)く葬礼が営まれたことを物語ります。
同じ大きさの万年堂
 夫妻の墓は万年堂(まんねんどう)(万年塔とも言われる)と称される、米沢地方独特の形態をしています。外観は家型の鞘堂(さやどう)で、四角の枠石に宝形造(ほうぎょうづくり)の屋根を載せ、その中に五輪塔を納めています。五輪塔を風雪から守るためと思われますが、いざ戦いの際に防塁に利用するため、兼続が考案したとの伝承も残っています。
 米沢の基盤を築いた智将とその妻の墓として、山形県の文化財(史跡)に指定されています。

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