城下町ふらり歴史探訪

 「城下町ふらり歴史探訪」は、米沢に残る史跡などをわかりやく解説しています。
 これまで「広報よねざわ誌面」で紹介してきた記事を再編集して掲載しています。


 威徳寺不動堂 中田町

酉歳生まれの守本尊である不動尊を祀る


威徳寺不動堂

正面の龍の彫物と「来振山」の山号額

箱根・越前を経て米沢に来た本尊
 威徳寺(いとくじ)に伝わる不動堂開基縁起によると、本尊は智証大師(ちしょうだいし)(平安時代の天台宗の僧・円珍(えんちん))の作で、当初は伊豆箱根の護摩堂に安置されたと言います。仇討ちで有名な曽我五郎(幼名は箱王(はこおう))が、幼少の頃に父の仇「工藤」と「不動」を聞き間違って斬り付けた不動尊という逸話も伝わっています。
 その後、越前国(福井県)の性海寺、更には来振寺に移りました。応永年間(1394~1427)、威徳寺12世の聖応和尚が諸国を巡礼した際、この不動尊に出遭い深く帰依し、越前から米沢へ勧請したと伝えられています。
上杉家も深く信仰
 江戸時代、霊験ある不動尊として領主の上杉家からも篤(あつ)く信仰され、2代藩主定勝が堂宇(どうう)を造営、延宝2年(1674)には4代藩主綱憲が再建したと言います。現在、綱憲が再建した際に納められた立派な棟札と、文政7年(1824)に11代藩主斉定が再建した時の棟札が残っています。
 また、弘化3年(1846)の再建棟札もあり、現在の不動堂はこの年に再建されたものと思われます。この他、拝殿・楼閣(ろうかく)・廊下や石鳥居等の造営に関わる棟札も多数確認され、往時は大規模な伽藍(がらん)であったことが伺えます。
不動尊にまつわる伝承
 江戸時代に記された「米沢地名選」などの地誌書には、威徳寺不動堂の由緒や伝承が記されています。その一つが不動尊に踏まれた鼠の伝説です。
 ある年のこと、不動尊に新しい御戸張(米沢では「おみとちょう」と呼ぶ。石宮や厨子の前に掛ける赤色や白色の布・帳(とばり))を掛けたところ、一夜にして鼠が半分嚙(か)み切っていました。住職は、毎日ご祈祷しているのに、余りにも情けない不動様と嘆いたところ、翌日には右足で鼠一匹を踏み、左手に鼠一匹を掴(つか)んだ姿で立っていました。その鼠二匹は箱に入れ保存されたと言います。
 もう一つは火伏霊験の伝承です。仙台の町家に旅の僧が立ち寄り、火伏の札を作り渡しました。その札は火鉢の上でも燃えなかったといいます。
 その後、仙台城下で大火が起きた際、その町家の手前で火が止まりました。町家の主人は霊験に感激し、僧が出羽米沢の中田の威徳寺と名乗っていたので、中田まで御礼に参りました。ところが、威徳寺住職と旅の僧は別人でした。仙台での出来事を話し、旅の僧は不動尊の化身であったと分かり、不動堂に参詣して帰ったと言います。

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