城下町ふらり歴史探訪

 「城下町ふらり歴史探訪」は、米沢に残る史跡などをわかりやく解説しています。
 これまで「広報よねざわ誌面」で紹介してきた記事を再編集して掲載しています。


 舞鶴橋 丸の内一丁目

市民からは「めがね橋」とも呼ばれ親しまれています


単独のアーチ橋

舞鶴橋

青銅製灯篭

明治19年竣工のアーチ式石橋

 舞鶴橋という名称は、米沢城の別称「舞鶴城」に由来します。米沢城は、松岬城と舞鶴城という二つの別称を持っていました。舞鶴城と呼ばれたのは、米沢城下を上から眺めると鶴のような形をしていたからだと言われています。
 舞鶴橋が完成したのは129年前の明治19年(1886)のこと。9月14日の「出羽新聞」には、「松岬公園内県社上杉神社前元大橋跡の石橋は既に落成したれば来る十二日を卜(ぼく)して落成式を挙行する積(つも)り」とあります。
 残念ながら、石橋を造った石工の名は不明です。明治初期の万世大路の工事では、薩摩出身の土木技師・奥野忠蔵(おくのちゅうぞう)の設計で滝ノ岩橋と滝ノ小橋というアーチ式石橋が築かれました。竣工は明治11年です。また、南陽市の吉田橋(南陽市指定文化財)は明治13年に宮内の石工・吉田善之助(よしだぜんのすけ)が築いたアーチ式石橋です。共に土木県令と称された三島通庸(みしまみちつね)の近代化政策によって築かれた橋でした。
 公園正面に架けられた舞鶴橋は、そうした先進技術に刺激を受け、アーチ式石橋が採用されたものと思われます。橋の長さは5m・幅7m、幅が広いのが特色です。平成10年には、国の登録有形文化財に指定されました。
石灯篭には秦 逸三の名前が
 舞鶴橋の東側左右には、大きな石灯篭が建っています。大正13年に献灯されたもので、台座には金百円を奉納した42人と鋳工・石工の名が刻まれたプレートがあります。奉納者には市内外の有力者が連なりますが、その中に「人造絹糸会社米沢工場代表 秦逸三(はたいつぞう)」の名が見られます。帝国人絹(現在の帝人株式会社)の発祥が、米沢であることを示す灯篭でもあります。
 石灯篭の石工は、米沢の勝見弥太郎(かつみやたろう)と山形の松田駒蔵(まつだこまぞう)でした。また、同時に松岬神社に青銅製の灯篭が献灯され、これは市内銅屋町の鈴木清兵衛(すずき せいべえ)が担当しました。青銅製灯篭は、戦時中の金属供出のため、昭和18年にお寺の梵鐘(ぼんしょう)などと共に供出され、今では写真でしか確認できません。

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