城下町ふらり歴史探訪

 「城下町ふらり歴史探訪」は、米沢に残る史跡などをわかりやすく説明したもので、平成5年4月から平成10年4月まで広報よねざわに連載されものを収録しています。


コレラ菩薩碑 赤芝、窪田

コレラの終息を祈願し、死者を慰霊


赤芝の虎列刺菩薩碑




米沢市赤芝町羽黒神社

虎列刺菩薩と刻む珍しい石碑
 今月は、米沢市赤芝町の羽黒神社境内にある虎列刺菩薩の石碑を紹介します。
 石碑は神社左側に広がる境内の奥に建っています。高さ88センチ、幅50センチの自然石に、中央には「虎列刺菩薩」、その上に観音菩薩を表わす種子(梵字)が彫られ、右側には「明治十二年八月三日」と建立日が、左側には「村中安全」と村人の願いが刻まれています。
コレラの終息を祈願し、死者を慰霊
 なぜ、この虎列刺菩薩碑が赤芝に建てられのでしょうか? 日本で初めてコレラが流行したのは文政五年(1822)で、安政五年(1858)には江戸だけで20数万人の死者を出す大流行があり、明治になってもたびたび流行しました。
 そして、この石碑が建てられた明治12年(1879)には全国で大流行し、死者は10万人に及んだといわれています。米沢では八月に白布温泉で発生(旅行客から伝染か?)しました。
 当時は、野菜・食器を洗うのは勿論、飲み水も川水を利用していた時代で、コレラはたちまち下流の小野川・赤芝に伝染、米沢市街にも蔓延し、死者は数百人に達しました。死の病とコレラは大変恐れられ、死者の出た家は知らせも出さず、わずかの親近者だけで葬式を行ない、遺体は棺や桶に入れ、夜になって密かに成島橋の下や八幡原に埋葬したといわれています。
 石碑はこうした状況のもとで建てられましたが、赤芝の村人が、観音菩薩が姿を変えたコレラ菩薩に、「村中安全」とコレラの終息を祈願し、あわせて死者の冥福を願ったものと思われます。
窪田の虎列刺神社、虎列刺大明神の石碑
 このコレラは、さらに下流の窪田村にも伝染し、『窪田郷土史』は村内の死者42名と記しています。窪田でもコレラの終息と村内安全を願い、「虎列刺神社」「虎列刺大明神」と刻む石碑を建てています。
 コレラは、明治16年にコッホ博士がコレラ菌を発見、その後は治療法も発見され、上下水道などの環境整備も進み、最近は流行がなくなりました。そして、赤芝や窪田のコレラの石碑は忘れ去られた存在となりました。
 しかし、最近はエイズなどの新しい伝染病やO157といった恐ろしい食中毒なども起こっています。日ごろから衛生には気を付けたいものです。

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