城下町ぶらり歴史探訪

 歴史探訪は米沢に残る遺跡などをわかりやすく説明したもので、平成5年4月から平成10年4月まで広報よねざわに連載されものを収録しています。

行屋と登拝習俗用具 六郷町西藤泉
 成人儀式の飯豊山登拝と、登拝前に篭もる行屋

 今月は、六郷町西藤泉の(財)農村文化研究所にある「行屋(ぎょうや)」を紹介します。
 平成9年12月、国の重要有形民俗文化財に指定されたもので、登録の名称は「置賜の登拝習俗用具及び行屋」。用具830点と行屋三棟および付属14点が指定となりました。
 置賜地方では、豊作を祈願し、あるいは成人儀式として、飯豊山や出羽三山への登拝する信仰が盛んでした。数え年、13歳から15歳の男子が飯豊山に登拝し、ようやく一人前として認められるという風習が、大正頃まで残っていました。
 そして、この登拝の前に精進潔斎や修業を行なったのが、「行屋」と呼ばれる小屋でした。間口1間半、奥行1間という小さなものが一般的で、母屋から少し離れた小川のほとり等に建てられました。

 行屋での精進潔斎生活

 登拝は盆の8月13日までに済ますものとされ、その前の3週間から1週間ほど行屋に篭もり厳しい精進生活を行ないました。この間、魚・肉・ネギなどの臭い食事が禁じられ、煮炊きする火も家族とは別の火を用いました(別火=べっか)。食事は、飯・汁・おかずの一汁一菜で、食後は「キリミガキ」といって、茶碗にお湯をそそぎ指やヘラで拭って、のり糊を落した湯を一滴もこぼさず飲み干すのが決まりでした。
 また、朝昼晩は勿論、食事の後や用便の後など何度も水垢離(みずごり)をとっては身を清め、神様に唱える呪文を覚えるなどして登拝の準備を行ないました。
 こうした行屋は置賜地方の各村々にありましたが、登拝習俗が行われなくなるにつれ、物置・味噌蔵になったり、壊れるままとなり、その数が徐々に減ってきました。
 そうした中、六郷の故遠藤太郎氏は行屋3棟を譲り受け、自設の民具館の脇に移建し、その用具とともに保存・整理してきました。それが今回指定された行屋です。水垢離をとるための柄杓や、鍋・膳・椀・箸などの生活用具、行衣・笠等などの登拝用具を含め、庶民の山岳信仰の実態を伝える貴重な資料として評価されたものです。
 また、佐倉市の国立歴史民俗博物館には、南原の杉の下にあった行屋が移建展示されています。


移建された行屋

[伝国の杜]米沢市上杉博物館 庭園に移建された行屋