城下町ぶらり歴史探訪

 歴史探訪は米沢に残る遺跡などをわかりやすく説明したもので、平成5年4月から平成10年4月まで広報よねざわに連載されものを収録しています。

牛森古墳 八幡原4丁目
 約8メートルの円墳、横穴式石室から、か帯金具(かたいかなぐ )が見つかる

牛森古墳

牛森古墳
東北パイオニア(株)米沢事業所東側の
天王川の入口から細道を北へ400m
程入ったところにある。

 今月は、米沢市八幡原四丁目、東北パイオニア(株)米沢事業所の裏手にある牛森古墳を紹介します。
 直径が約8メートルの円墳で、昭和50年、八幡原工業団地造成のため緊急発掘調査が行われました。その結果、河原石などで組み合わされた横穴式石室が確認され、その様式や出土品から8世紀末の古墳と考えられています。
 石室の中からは、刀子(とうす)や須恵器片(すえきへん)とともに青銅製のか帯金具(かたいかなぐ)7点が発見され、注目されました。か帯金具とは、奈良時代の役人が使用した腰帯に付けられた飾り金具で、役人の身分を示すためのものです。身分によって色や大きさが制限され、五位までの上級役人は金銀色の腰帯を使用しました。牛森古墳のか帯金具は、六位以下の下級役人が用いた烏油(くろつくり=銅質黒漆塗)腰帯の金具でした。つまり、牛森古墳に葬られた人は、下級の地方役人であったことがわかったのです。
 か帯金具は南陽市の二色根古墳や神楽山古墳などからも発見されていますが、牛森古墳は7点とまとまった貴重なものであり、昭和56年に市の文化財に指定されました。さらに、牛森古墳も平成6年に市の文化財(史跡)に指定されました。

江戸時代にも発掘の記録

 この牛森古墳の近くには、この他にも古墳があったようで、江戸時代に発掘された記録もあります。享保19年(1734)に記された『こしかた物語』(米沢市史編集資料21号収録)には、発掘の様子が詳しく書かれています。
 延宝6年(1678)、花沢仲町に住む石塚源七が、牛森原の畠の中に残っていた大石を、大勢の力を借りて押しのけたそうです。すると、その下は「石のからびつ」で、中には、人の首1つ、砂鉢と思われる物2つ、刀20腰、矢ノ根(鉄鏃)数百本があったといいます。
 1つの古墳から、20本の刀と数百本の鉄鏃、驚くべきことです。しかも、刀の中には蕨手刀(わらびてとう)と思われる素晴らしい刀もあり、矢ノ根の一つには「天國」の銘があったたそうです。それらは、発見者の石塚や、石塚から譲られた米沢藩士の家で大事に保管されていましたが、現在では、その行方は不明となっています。
 もし、赤外線写真など現在の技術を利用して調べれば、米沢の歴史を変える大発見となっていたかもしれません。
  幻 の鉄刀・鉄鏃、今どこに?