城下町ぶらり歴史探訪

 歴史探訪は米沢に残る遺跡などをわかりやすく説明したもので、平成5年4月から平成10年4月まで広報よねざわに連載されものを収録しています。

五十騎・御守・組外の石碑 
 板谷街道沿いにたつ珍しい石碑

「組外」の石碑

宮坂考古館の「組外」の石碑

五十騎」の石碑

笠松温泉前の「五十騎」の石碑

「御守」の石碑

大沢牛立場の「御守」の石碑

 今月は、米沢藩の参勤交代の道であった旧板谷街道(県道板谷米沢停車場線)沿いに立つ五十騎・御守の石碑と、宮坂考古館(東一丁目)にある組外(くみほか)の石碑を紹介します。
 江戸時代の宿場町の面影を僅かに残す大沢から、板谷に向かって進むと、間もなく笠松温泉に着きますが、その温泉前の林の中に「五十騎(ごじゅっき)」と刻まれた石碑があります。高さ約80センチの小さな石碑です。そこから、さらに400メートル程進んだ長根橋近くの杉林の中には、「御守」と刻まれた、高さ1.2メートル、奥行き約2メートルの大きな石があります。
 また、宮坂考古館には「従是北(これよりきた) 組外(くみほか)」と刻まれた高さ80センチ程の石碑がありますが、これも元は板谷街道沿いにたっていた石碑です。考古館を開設した宮坂善助氏が、人知れず草中に在った石碑を館まで運び、保存・展示したものです。
 さて、この「五十騎、御守、組外」の文字、何を意味するのでしょうか?

 刻まれた文字は、米沢藩家臣団の組名

 歴史に詳しい人は気づいたと思いますが、米沢藩の家臣団の組名を表したものです。
 五十騎(組)は藩主の旗本で、大目付・町奉行・勘定頭などを務める中級家臣団の一つです。馬廻組、与板組と共に三手組とも呼ばれました。
 また、御守(組)は、米沢城の御殿(藩主の住居)の警護を担当した下級家臣団で、組外(御扶持方=ごふちかた )は、役所役・蔵役・番所勤などの実務的な役職を務めた下級家臣団です。

    藩主の初入部と家臣団の出迎え

 では何故、家臣団の組名を刻んだ石碑が板谷街道沿いに立てられたのでしょうか?藩主の参勤交代に関係がありそうです。
 宝永2年(1705)、第五代藩主上杉吉憲が米沢に初入部(初めてのお国入り)しますが、その様子は『上杉家御年譜』に次のように記されています。
 閏4月9日に江戸を出発した吉憲は15日に板谷に泊まり、翌16日に板谷を出立。板谷峠には猿牽(さるひき)が出て祝い、また、町奉行は福田、代官は山上、五十騎組は丸山、馬廻組・御守組は牛立場、猪苗代組・組外御扶持方は駒形などと、家臣団がそれぞれの場所で出迎えました。
 今回紹介した石碑は、その家臣団各組が出迎える場所に、目印として立てられたものと考えられます。全国でも、大変珍しい石碑です。
 この板谷街道は、平成8年に「歴史の道百選」に選ばれました。所々に石畳が残り、家臣団の石碑や、雪舟大明神(そりだいみょうじん)の石碑(第35号で紹介)などの珍しい石碑も点在しいます。
 こうした石畳・石碑をたどり、江戸時代の参勤交代に思いを寄せながら、「歴史の道」板谷街道を歩いてみませんか。