城下町ぶらり歴史探訪

 歴史探訪は米沢に残る遺跡などをわかりやすく説明したもので、平成5年4月から平成10年4月まで広報よねざわに連載されものを収録しています。

龍師火帝の碑 大字李山丹南の最上川(松川)左岸
 直江兼続が堰の安全を願い建立

 今月は、米沢市李山字丹南の最上川(松川)左岸にある巨石「龍師火帝の碑」を訪ねてみました。直江兼続が、猿尾堰の鎮守として、洪水や旱魃がおきないことを祈って置いた石碑と言われています。
 慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで西軍に加担した上杉景勝は、翌6年に会津120万石から米沢30万石に領地を削られ、重臣の直江兼続の指揮で米沢城下の建設が始まりました。兼続は、城や堀の造築、城下の拡張、原方屋敷の配置などに着手する一方、用水・治水にも心を配り、御入水堰・猿尾堰・帯刀堰を開削し、谷地河原堤防(直江石堤)を築きました。
 この猿尾堰は、最上川の水を李山地内より堰揚げし、南原五ヶ町の用水や、米沢城三の丸西側の堀となった堀立川へ水を流しこむ重要な堰でした。ただし、堰揚げが難しい場所で、何度か失敗した水路跡もあり、責任者が切腹したことから切腹堰とも呼ばれています。そして、ようやく完成した堰の鎮守として、この石碑を置いたものと思われます。
 石碑は安山岩の自然石で、大きさは、高さ約1メートル、幅約3メートル、厚さ約1メートルと巨大なものです。その中央に、「龍師火帝」と大きく籠彫り(かごほり=字の輪郭を線彫りする手法)され、この左脇に弥勒菩薩の種子ならびに「伝燈髄記之」の文字が刻まれています。

 龍師火帝は『千字文』の一句

 この「龍師火帝」の字句は、中国、梁の武帝の命令で、1,000の漢字を四字句からなる美しい韻文にまとめた『千字文』の、第19番目の句です。龍師は雨風を司る水神であり、火帝は火の神を指します。
 兼続は僧髄に「龍師火帝」の文字を書かせ、水神・火神に対し、洪水や旱魃といった水難火難が起こらないよう祈祷させたものと思われます。千字文の字句は、漢詩に秀で、書物の蒐集に尽くすなど、学問を愛した兼続にふさわしい発想と感じます。
 なお、その後の猿尾堰は、台風等による大雨で何度か破壊され、「龍師火帝の碑」も川の中に埋まったりもしましたが、堰揚げ場所を替えながら現在も用いられ、石碑も引き揚げられて昭和56年に現在の所に整備されました。そして、今なお猿尾堰の安全を見守り、米沢に洪水・旱魃の起きないことを祈るかのように建っています。

龍師火帝の碑

 

龍師火帝の碑

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