城下町ぶらり歴史探訪

 歴史探訪は米沢に残る遺跡などをわかりやすく説明したもので、平成5年4月から平成10年4月まで広報よねざわに連載されものを収録しています。

白子神社 米沢市城北2丁目
 米沢の鎮守の宮

 今月は、米沢の鎮守の宮、また米沢の「市」や町人町の発祥地ともいわれる白子神社を訪ねてみました。
 白子神社は和同5年(712)の創建と、大変古い由緒を伝えています。その由緒は、神のお告げによって桑林に蚕が生じ、桑を食べている光景は雪が降ったように白一色で、やがてその蚕は繭を作りました。この不思議な現象により、この地を白蚕(白子に由来する)村と呼び、和同5年に神社を建て白蚕(白子)明神とした、というものです。
 また、平安時代には、この地方を鎮めに来た小野良春によって社殿が建替えられ、鎮守の社となったと伝えています。神社に保存されている古い鬼瓦(市指定文化財)は、この時建てられた社殿の鬼瓦とも言われています。
  その後も、米沢の鎮守の宮として、長井氏・伊達氏・蒲生氏・上杉氏と置賜地方を治めた歴代の領主から信仰され、社殿の造営や社領の寄進など、厚く保護されてきました。それは、元禄六年に吉良義周(きらよしちか=上杉綱憲の次男で実の祖父吉良上野介義央の跡継ぎとなる)が奉納した「白子大明神」の扁額や、上杉鷹山が倹約を誓って納めた「倹約誓詞」などでも、深く信仰されていたことが知られます。この扁額と誓詞は市の文化財に指定されています。
 一方、白子神社の門前に「市」が始まり、米沢の町・商店街が開かれたことも知られています。粡町(あらまち)に残る江戸時代の記録では、粡町はむかし白子神社門前(元籠町(もとろんちょう)のあたり)に発生した町で、9月の祭礼には「市」が立ち、綱引きの神事が行われ、その神事は今の場所に移ってからも続いていると記されています。綱曳きの神事とは、白子大明神に大しめ縄を寄進し、古いしめ縄を用いて東西に別れ、綱引きで米価を占うもので、東が勝てば高値となり、西が勝てば安値となるといいました。また、立町も蚕霊宮(こだまみや=白子神社のことか)の門前市から興った町といわれています。
 このように、白子神社は米沢の鎮守、養蚕の神様、町人町の神様として信仰され、江戸時代の後期には、各町々から豪華な山車や大勢の囃子連が繰り出す祭りも行われました。鷹山の倹約令で、華やかな祭りはあまり行われなくなった米沢ですが、時には町人町の活気・意気を示す祭りもあったようです。
 なお、現在の社殿は、大正6年の大火で類焼し、同13年に再建されたものです。


白子神社