城下町ふらり歴史探訪

 歴史探訪は米沢に残る遺跡などをわかりやすく説明したもので、平成5年4月から平成10年4月まで広報よねざわに連載されものを収録しています。

塩野毘沙門堂 塩井町塩野
 お堂の下に井戸がある珍しい構造

 今月は、米沢市塩井町塩野の毘沙門堂を訪ねてみました。
 毘沙門天は、インドでは北方を守護し、財宝・福徳を司る神として信仰されていました。また仏教では、仏を守護する四天王の一尊で、夜叉を率い北方を守る天神とされ、多聞天(たもんてん)とも呼ばれました。
 日本でも古くから信仰され、四天王のほかに、毘沙門天単独で、あるいは七福神として崇敬されました。その姿は、甲胄を身に着け、憤怒の表情をして、左手には宝塔、右手には鉾を持ち、足下に邪鬼を踏んでいます。武将の信仰も厚く、楠木正成は幼名を多聞丸と称し、上杉謙信が「毘」の一字を旗印としたことは有名です。
 さて、塩野の毘沙門堂の由来をたどると、大同4年(809)に法相宗の名僧徳一上人(とくいちしょうにん)が諸国を巡る折に塩野に立ち寄り、お告げによって毘沙門天像を刻み、小さなお堂に安置したという、大変古い由緒を伝えています。また一方では、天台宗の名僧、安然大師が彫った像とも伝えられています。
 その後は、承和3年(836)に出羽国司の小野良実が飛騨の大工を呼んで大きなお堂を建てたが、長享2年(1488)に焼失し本尊や記録を失い、延徳2年(1490)に伊達氏によって再建された、と伝えています。
 江戸時代には藩主上杉氏に手厚く保護され、社領50石(半知後は25石)を認められ、元禄11年(1698)と嘉永3年(1850)には藩によって大修理が加えられました。

塩野毘沙門堂

 現在のお堂は、接ぎ足した欅の太い柱で支えられた、七間四方の大きなものです。延徳2年の伊達氏再建のお堂を何度か修理したものといわれ、約500年前の建物になります。
 本尊を安置する須彌壇(しゅみだん)の下には、古い井戸がある、非常に珍しい構造となっています。火災から本尊を守るためといわれています。
 境内は1379坪と広く、弁天池と弁天堂があります。また、仁王門近くには象頭山の大きな石碑が数多くあります。象頭山とは香川県琴平町の金比羅宮のことで、石碑の年号から、幕末から明治期にかけ、この地区で金比羅信仰が盛んであったことを示しています。