城下町ふらり歴史探訪

 歴史探訪は米沢に残る遺跡などをわかりやすく説明したもので、平成5年4月から平成10年4月まで広報よねざわに連載されものを収録しています。

戸塚山古墳(とづかやまこふん) 大字浅川
 古代置賜の女王が眠る

 今月は、昭和57年の発掘調査で古代女性の骨が発見され、「置賜の卑弥呼」と注目を浴びた、米沢市大字浅川の戸塚山古墳群を紹介します。
 戸塚山は米沢市の北東にある、標高356メートル、周囲約6キロの独立した丘陵です。この山の頂上や山麓に約200基の古墳(土を盛り上げて作った古い時代の墓)が点在し、置賜の古代の歴史を知る上でたいへん貴重な遺跡として、昭和61年に市の史跡に指定されました。
 この内もっとも大きな古墳は山頂の139号墳です。長さ54メートル、高さ4.5メートルと大きなもので、上から見ると台形と円形を組み合わせた形の前方後円墳です。
 この古墳の東側に、ホタテ貝の形をした帆立貝式古墳が2基(137・138号墳)あり、137墳が発掘され話題を呼んだ古墳です。長さ24メートル、後円径21メートルの大きさで、中央を2.6メートル掘り下げた所に石を組み合わせて作った箱形の石棺がありました。石棺の大きな蓋石を持ち上げると、その中には人の骨一人分がほぼ完全な形で横たわり、まわりから縦に長い櫛くしが3個、握りの部分を鹿の角で作った鉄製の刀子(とうす)が発見されました。古墳から人骨が発掘されたのは珍しいことです。
 人骨は独協医科大学の解剖学かいぼうがくの先生達によって調べられ、骨盤(こつばん)などから見て明らかに女性で、身長145センチほど、年齢は壮年中後期(40歳から50歳)と推定されました。また、全体的に骨が細くきゃしゃな体つき、22本残っていた歯のうち7本が虫歯であることが特色として示されました。甘い物が食べられ、重労働をしないで育った、身分の高い女性と想像されます。
 なお、古墳の作られた時代は、約1500年前の5世紀の終り頃と考えられています。
 発掘された137墳は調査後ただちに埋め戻され、1500年の眠りを覚ました置賜の女王だけは、旧万世小学校を利用している埋蔵文化財資料室に静かに横たわっています。
 古墳のある戸塚山山頂からは米沢盆地が一望でき、米沢地方を治めた王・女王のお墓の場所にふさわしい所です。また、石蓋に使われた一枚岩は重さ約1トンの砂岩で、下から運ばれたものと考えられ、その経済力や支配力の強大であったことがうかがえます。
  山頂の古墳まで登り(歩いて30分ほど)、眼下に広がる水田や集落を見渡し、古代ロマンにひたってはいかがでしょうか。

戸塚山 戸塚山山頂
戸塚山 戸塚山山頂