城下町ふらり歴史探訪

 歴史探訪は米沢に残る遺跡などをわかりやすく説明したもので、平成5年4月から平成10年4月まで広報よねざわに連載されものを収録しています。

上杉神社 米沢市丸の内1丁目
 藩祖上杉謙信公を祀る

 今月は、桜の名所である松岬公園内に建ち、4月29日からの「上杉まつり」で賑わう上杉神社を訪ねてみました。
 祭神は戦国時代の名将で、米沢藩の藩祖ととして崇敬されている上杉謙信です。江戸時代、謙信の遺骸は米沢城本丸の南東隅にあった御堂に安置され、歴代藩主の位牌と共に、真言宗寺院により手厚く祀られていました。
 明治になって、仏式から神式に改められ、明治5年に謙信・鷹山を祭神とする上杉神社の神号が許され、同9年に米沢城本丸跡(現在地)に社殿が建てられました。同35年には別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ=国が管轄する官社の中で、皇室や国家に尽力した偉人をまつる)に昇格し、この時に祭神は謙信一柱となり、鷹山は摂社に祀られ松岬神社と称しました。
 大正8年5月19日、舘山口町から出火し市内約1,070戸を焼失した米沢大火で類焼、本殿などほとんどの建物が焼け落ちました。
 神社の再建は、翌9年から始められ、同12年4月に完成しました。総工費46万2,550円余の大工事で、その資金は、皇室からの500円、国庫からの38万3,500円、地元の寄付金7万円余でした。さらに、胴突や木材・石材の運搬などに、のべ2,330人の労力奉仕があり、燈篭(とうろう)や樹木などの寄進もありました。ちなみに、大正10年の米沢市役所再建費は11万円余、同12年の米沢市の予算は31万円余でした。
 設計は、米沢出身で東京帝国大学(現在の東京大学)工学部教授の伊東忠太によるものです。伊東は平安神宮・明治神宮などを設計し、神社仏閣の設計では第一人者であり、後に文化勲章を受賞、米沢市名誉市民に選ばれました。
 伊東博士が「殊に本殿廻りの一区はよく引きしまり落ち付きがあって清純純潔の感が深い」と感想を述べているように、唐門や透塀、檜造りの本殿・拝殿などに日本建築の美が感じられます。また、鉄筋コンクリートで建てられた、重層切妻造りの宝物館「稽照殿(けいしょうでん)」、校倉風(あぜくらふう)の祭器庫など、和風の耐火建築も注目できます。
 花見のおり、おまつりの時、ちょっと足を止め、日本を代表する建築家が、地元のため誠意を込めて設計した作品を、眺めてみてはいかがですか。


イメージ 上杉神社